そう言えば、春分の頃、桜が咲き、連日の雨で散らしています。




桜と言えば、日本の花という印象が強いですが、アメリカでも咲いているというのを中学の教科書だったかな?知ったときは結構驚きました。

日本より長めに咲くそうです。


この桜の花の咲いている期間が、非常に短いのは、蝉の成虫の活動が短いように、儚さを感じさせます。


桜は、花が咲いてなくとも、そこにはずっといるのですが。

蝉だって地中で何年も生きているのですが。


日本人は、儚さを感じます。


そう言えば、桜と蝉って相性が良いですね。


夏に鳴いている蝉がとまっている木と言えば、自然と青々と葉をつけた桜を思い出します。


動画でも語られていますが、学校に必ずといっていいほど桜が植えられています。


学校に通いながらいつも視界にあったのを覚えています。


桜は、終わりとそして、始まりを区切りを感じさせます。


その終わりの始まりに寄り添う花

それぞれの決意を聞き届けてくれるそんな感じがしますね。




革命の言葉も今の時期


春分の星座の影響でしょうか。

良く響いてきます。



この動画の最後にも桜とマドモアゼル愛さんのテーマソングが流れます。


わたしのテーマソングは…いっぱいありますが。




激しめの曲が多い中、アルバムの最後に訪れる静かなる革命のような決意の曲。


まさに今にぴったりです。


『繋ぎ止めるのは、僕の未知への恐怖心

断ち切って 弱さを知ればいい

すぐに届かずに 鳴り響いたとしても

歌い続けようと 僕は誓ったんだ』


私に心にはいつでも響いている伝えたい。

未知への恐怖を断ち切ったときも、そうでないときも




『キッチン革命』



たまたまつけたTVでやっていました。


『革命』によってなされたことは、今では当たり前になっていることが多いですが、それがまだない頃は、反発が多くなかなか大変です。それが『革命』なのですが。


ここでは、『治療』から『予防』という医学の転換が描かれています。


上手く描けないかもですが、人の死というのは、その近くにいた人に大きな影響を与える転機となり得ます。


それは、受け手がどう受け取るか?という部分にかかっています。受け取らないことが悪いことではありません。


そこにある『死』と私との関係の中にある共鳴する何かについて、どう受け取るかということです。


ここからさらに私の勝手な解釈ですが。


人が死な時には、何グラムか軽くなることが知られいますが、これは魂の重さとも言われています。

魂が抜けるということを表現したものと考えられます。


死に触れるとき、その魂の抜ける時のエネルギーは、人にどう影響を与えるでしょうか。


そのエネルギーに共鳴する何かが本人の魂にあれば、その分だけ、響く、それを愛と呼ぶのだと思います。

響かなかったら受け取れてないのか?というのは、私も良く考えるのですが、物理的にその空間にあったエネルギーというのは、いつでもわたしのエネルギーにあります。


それが、響くときになって気づくものなのだと思います。





もう一つ、ビタミンは、バイタルアミン、必要不可欠なアミノ酸のことですが、脚気は、バイタルアミンの発見に大きく関わっています。


そのことを食事によって発見していました。


『精製』されることは、美味しさを求めるとき良いこととされてきましたが。その美味しさを求めることで、失った雑味に大事な栄養素がありました。


そのことを問う作品でもあるようです。


本当の日本人の食事とは?その様式美から家庭での生活の一部として食事の場とは?医療とは何のためにあるのか。という問いです。

そして、無駄を排する合理化の怖さについての問いです。


今の時期に、この作品をこういう形で表現されるということがとても印象的でした。