この人はまたこうなるなというインスピレーションを感じたとき、面倒くないなぁとか、嫌だなぁという感情で言葉、行動するというのは、ある種その人を信頼していないからということでもあります。
これは、捉え方の話でもあり、同時に人ごとではなく、自分自身の話でもあります。
この時のインスピレーションには善悪はなく、それはただの出会いであり、そこにどんな感情と言葉、行動をするか?というのが、その人の個性になります。そして、その状態の自分を如何に捉えるか?というのが、大事なポイントでもあります。
自分の中で、こういう感情が動いている、こういう言葉を使っているというのが捉えられると、捉え方を変えることができます。
というより、捉えているという状態そのものが、大事であって、その後の対処というのは、そこまで大事にでありません。捉えることができていれば、その流れに乗ればいいのですから。
信頼ということを別の見方で説明をするのなら、それは、自分を捉えるということ→自分への信頼→他者への信頼ということもできます。
この世界は、自作自演であり、未来の自分や過去の自分を体験しているという側面もあるということから考えると、その信頼していないのは?本当は誰か?というと、自分な訳です。
自分を信頼していないから、誰かをコントロールしようとします。
その誰かを信頼しているのであれば、コントロールする必要はないわけです。
この人は、こういうミスをするだろうという思い、波動がまずあると、(自分からみて)相手はそうなってしまうということです。
目の前の出来事は、自分の認識によって、混沌たる宇宙から顕現されます。ある種信仰と同じです。
自分の周りには、碌な人がいないという風な人が、碌でもないのは、昔から言われることですが。その人の周りにいるその人が、また別の人にとっては、誰かの恩人であったりします。とすると、その人が悪いのではなく、もしかしたらそういう風に見ている自分にも何かあるのかもしれない。
と思えれば、世界はもう少し多くの人にとって生きやすくなるように思います。