先日、『機』について書いてみました。


今度は、『間』について。


『間が悪い』というときの『間』。


最初の『機』と次の『機』の間(あいだ)としての『間』。


この『間』、時間を空けるということが大事なのではなく、相手との距離的な適度な間で感じとるということ。


現代では、そういうのいいからちゃんと言葉にしてよという風潮があるので、変わってきたようにも感じるが、その一方で相も変わらず「空気読めよ」という感覚を持っている人は大勢いるはず。


ということは、日本人の感覚としては、この「間」という感覚は生きているし、大事にされているように思う。


あと、『忖度』という言葉も今はもう悪い意味合いしかない。

『天下り』が本来の役割を終えてしまったように、『忖度』もその役割を終えてしまったように思う。


話がズレました。


『間』というのは、そうだなぁ。

ハンターハンターでいうところの『円』という技術みたいなもので、自分の周りの一定距離の感覚を研ぎ澄ますし、その結果として、相手に対するタイミングをはかるような感じかな。


日本人が、日本人だった頃は、『間』というのは当たり前のことで、言葉にすらしなかった感覚だろう。


わざわざ研ぎ澄ますことをしなくても、自分の半径数メートルのことは、人でも物でもわかっていた。


師匠と同じ空間にいるだけで、何かを掴むことができる。


では、この『間』に何がいるのか?


相手の波動、オーラがあり、それに触れるという見方も正しい。

人間には、人間固有の磁場があるので、共鳴すると考えられる。


『間』には、水と空気と菌がいる。


その人間固有の磁場とそこにある情報を伝える媒介になっているものが『菌』ではないかと考えられる。


それぞれの人間についている常在菌のバランスがよく、その菌の持ってきた情報を受け取る正常な臓器と神経があれば、頭で考えるのではなく、感覚的に相手の状態に合わせた行動が取れる。


ここでいう相手に合わせるというのは、相手の行動に従うことではなく、相手の行動に対して、合意できる部分については合わせ、合意できないことにはうけて躱すこと、また相手が動く前に動くことを言う。


『間』が悪くなってしまうのは、相手の空気を感じ取れないからであり、菌が受け取る情報の質と量とそれを信号として受け取る神経の通りの良さに依存する。


菌から受け取る情報の質と量は、自らの常在菌と腸内細菌のバランスによる。


神経は、その神経を形成するのに接種した食べものと骨格と筋肉のバランス(姿勢)による。