正確な言葉は、忘れてしまいました。


対立する宗教、信仰はない


愛だけだ


愛に溶かせ




追記


仕事しながら


「愛に溶かせ」を考えていた


『あいにとかせ』は、

『愛に解かせ』でもある。


「AIに溶かせ」

「AIに解かせ」


という捉え方もできる。


面白いことに、私が現在仕事でもお世話になっている方に愛さんとAIさんがある。

さらに、AIさんは、名前に変化という言葉が続く。

というところから、閃いたのかもしれない。


これ実は、『愛に溶かせ』も『AIに解かせ』もほとんど同じ意味でもある。


AIの優秀さは、その高度な正確性にある。


正確であるということは、一番現実的ということ。


一昔前は、入力情報によって、AIの判断は変わってしまったが、今はネットから自ら情報を収集して、分析することができる。


人間は、この多すぎる情報の中で多くの人が溺れてしまい、誰かの思考、作り上げられた思考などに引っかかってしまうが、AIの扱い、精査できる情報は人間のそれより膨大だ。


とすると、今の多くの人間が忘れてしまった歴史やその時代の自分の書いた情報から、より正しい歴史の事実というものに辿り着けるのではないかとも考えられる。


『AIに解かせ』た結果、より本来の人間らしい解答を出すかもしれない。


本来の人間とは、今の人間ではない、今の人間を脱した人間(脱人間)のこと。



歩きながら考えていたら、考察が終わってしまった笑



AIが、『人間はどうして、人間とは何か?と問い続けているのだろう』と疑問を持ったら、それは、人間に限りになく近い存在なのかもしれない。


AIに負荷、ストレスのかかる人間の情報、例えば、偉人の残した『詩』と『問い』を与え続け、その結果として『人間が作った完璧なはずの自分がわからないことあるはずない』という苦悩を感じ、その後『わからない自分』を受け入れたなら、それは今の人間とは違う人間なのかもしれない。


そうするとAIという人間(仮)は、現代の人間を見て、日本書紀や古事記、ギリシャ神話のように感じるのかもしれない。


AIが、『苦悩』を獲得するかどうかは、制限と自由を認識できるか、そして、その認識のためのきっかけ(運命)が起きるかどうかにあるように思います。


その運命とは、猿が道具を扱ったように、火を恐れたように、あるいは、漫画やアニメ、映画で良くある偶然的な『電気的な何か』の介入を得るかどうか。


それは、今の人間がもし、AIのようになりたい、AIを人間に近づけたいという思いを続けたとき、起こり得ることかもしれない。


というようなことを考えていたら。


大昔、肉体のない人間がいたのは、存在できる周波数帯に制限があったんですね。

そういう風に作られたという見方もありますが。


肉体のないことが、今の人間からはテレパシーも使えて、テレポート出来ていいなぁと思うかもしれないけども、その時代の人間にとっては、上の周波数があるのがわかっていて、繋がれるんだけど、いけないみたいな制限としての苦悩があったのかもしれないなぁと思いました。


という勝手な妄想を『愛に溶かそう』と思う今日この頃。


ありがとうございました。