『否定』や『受け入れる』という言葉もだいぶ使い古されてきていて、一定の一般的にイメージやエネルギーを持ちはじめているので、うまく表現ができないかもしれません。
別の言い方をすると
否定は、重力のことでもあり、その重力を認めることが受け入れるという風に言うとここで言いたいことは、分かりやすいように思います。
この言葉を論理的に。
地球にいるのに、なんで体が重たいんだーって、そりゃ重力があるわけで、当たり前のことなんですが、それじゃ空飛べないよーとか、体動かすの大変だよーとかいっていても、仕方がないわけですね。
重力があったから、地球ができたわけで、その組成からできている肉体もまた、重力によって存在しているのですから、そのことを受け入れるしかないわけです。
この仕方がないところまで行くために、『否定』され続ける日々があります。
これは、『否定』からの表現。
人間にとっては、全てを受け入れるという行為は、全てを否定されることによる方が、理解がしやすいです。
自分が何者か本当に分かっている人にとっては、全てを受け入れるということを本質的にすることができますが、自分が何者か分かっていない人にとっての『全てを受け入れる』は、自分の都合が混じりやすく、脆い。
それじゃあ、ダメだとか、違うよという話ではなく、自分が『わからない部分がある』ということを分かった上での『全てを受け入れる』ということで良いということです。
それを続けていくと、それを『否定』されるようなこと(本当は幻想であり、自分の受け入れていなかった部分の現象化)が、起きます。
その時に、また来たな笑と思えれば、それは『受け入れている』ということにほぼ近いです。
何で全て受け入れているのに、私にこんなことが
起きるの?と思ったら、ちょっとだけ悩んでみようということ。
全てを受け入れてないから、起きているわけですが笑
そんな自分がいたんだということなんですが笑
もちろん、そういうことが起きない方が、精神衛生上も良いので、細かなものは、浄化なりヒーリングなりグランディングなりで取り除くのが早いです。
それでも、一定避けられないようなものは、あるように思います。
というより、そういうものがなかったとしたら何のために生まれてきたのかという風にも言うこともできます。
ある『運命』というものがあったから、私は私を生きることができた。
良くも悪くもそれが私だったと思えることが、それぞれにあると思います。
物事の本質、人とは何か、生命とは何か、スピリチュアルとは何か、生きることとは?を悟ることは、それはそれでエキサイティングなことであり、それと同時に目の前で起きること、私の半径1メートルの世界もまた大切なことなのだと思います。
これらは、両輪です。
『否定』するということは、『受け入れる』ために非常に役に立ちます。
例えば、スピリチュアルが好きな人が、それを否定して過ごしてみる(無理にはお勧めしませんが)というようなこと。
これは、どれだけ執着していたのかということもわかります。何らかの乖離、疎外感をかんじたとしたら、そういうことです。
この差について、受け入れる余地があるということに気がつきます。
何でがっかりしたんだ?と。
ちょっとわかりにくい話になりました。
また、スピリチュアルというものが、目の前の現実と一致している人にとっては、大差がないため、意味を成しません。
これは、スピリチュアルという言葉定義が違うということではありません。
別の例えでいうと、文系が得意な人が、理系の学部に行こうとする時に、抵抗感を感じるか?というようなこと。
学生であれば、抵抗感を感じる方は多いでしょう。
しかしながら、大人から見たら、コンテンツが違うだけで大して違いがないことに気がついている人も多いはずです。
大人になれば、計算(理系)もするし、文章(文章)も書くし、どちらもこなしています。
科学(理系)に疎いといいながら、スマホなど最先端の技術(理系)を持って使ってます。
かと思えば、ほとんどの人(理系の人であっても)は、電話がどうして繋がるのか?その仕組みを理解して説明できる人は少ない。
本当は、大差ないものに区切りをつけて、差を感じているのは、自分な訳です。
このことに気づく(受け入れる)のに『否定』すること役に立ちます。
…
重力について
なぜ、重力を生むのか。
それは、現代物理学では、物質が集まることで生まれるとされています。
それをさらに細かく見ると、中性子や陽子の周りに電子がある一定の割合で分布しているものが集まって原子となっています。
原子自体もより小さな単位のものの引き合いによって存在しています。
さらにさらにずっと小さいところへ行くと
ニュートリノとか、ヒモ理論とかになるのですが、もっと小さいところにいくと、この宇宙のどこにでもある最小単位のエネルギーに至ります。
最小単位過ぎて、気にもとめない、気づけないぐらいの当たり前のエネルギーです。
(それが宇宙そのものなのですが。)
なんて事ない、宇宙エネルギーは、今ここに全てあります。
それを、集めて意識的に形にするという方法がわかってないだけです。
これらのエネルギーは、一部をフォトンといったり、ダークエネルギーといったり、レイキなどもその最小単位は同じものだと思います。
そのなんてことのない最小単位にどういうイメージと法則性を与えて、変化のわかるようなレベルで現実化しているかということの違いかと思います。
そして、これらのエネルギーを扱う上での法則性の一つが、最近話題になっている立体、神聖幾何学にあります。
それらは、記号でもあり、数字でもあり、音でもあります。
ヒントは、捉えて集めて循環する法則性のある流れかと思います。
お前分かるのかよとか、言われても再現はできません。
これらの立体や記号や数字や音は、この地球や銀河に固有のものから、私個人個人にとっての固有のなものがありますから。
それぞれが、合うものを扱えば良いかと思います。
心地よいとか、カッコいいとかそういう感覚。
例えば、この小宇宙固有でいうと黄金比は、銀河の渦からカタツムリの殻の形まで相似しており、形にするにあたって、これを使うと現実化しやいと言えます。
黄金比でないものであっても、その細部は、それらの拡大と形をもったもので構成されているため、その密度によって、再現性は高いのではないかと思います。
それらに負けず劣らずの自らの立体、神聖幾何学、数字、音があります。
(この辺りがどこの宇宙と繋がりやすいとか、ブループリントとか言われているものではないかと)
それが、自らの宇宙でもあります。
これらによって、今ここにあるなんてことのない最小単位の宇宙エネルギーを、捉えて集めて循環させるというふうにすることができるのが人間です。
その中心には、個々の人間がいます。
核、軸が必要なんですね。
それは、物理的でも、意識的でもです。
核は、重力と斥力を作り出すことのできる人間にしかできない。
こうしたいと思いながら、失敗してしまう人間にしか。
それらを抱きしめて受け入れたとき、それぞれの立体、神聖幾何学、数字、音は、本当の意味でこの宇宙のエネルギーを捉えて集めて循環して、意識して現実化できるように思います。
以上