現代に残っているものには、人の物語がある。
誰かがやらなければ、なかった。
いまを生きる人の多くがその事実を知らず、
その成果のみを受け取っている。
ちょっと調べるとそういうものだらけであることが分かる。
人はどれだけ無知なまま生きているかを知らない。
そういう物語を辿ると、その多くは、滅私であると同時に、自らの運命を生きている。
滅私であるが、自らの運命を生きるという言葉は、少々分かりにくい。客観的に見た場合の言葉。
運命そのものが、滅私であるということ。
本人は運命を生きれば、滅私とも思わない。
周りから見たとき、そう見えるというだけのこと。
運命に気づいた人は、そうせざるを得ない。
せざるを得ないというよりは、そうしたいと思い、体が動くのだろう。
それは、人によっては、場所や仕事そのものが変わってしまうほど。
何が専門であったか?やってきたか?ということは重要ではない。
そうして途方もないものに向かっていく。
それが、今を生きるということと、なんら変わらない。
我々の日常も実はいつも、そう思えば、そういうものに溢れている。
途方もないものに、制限をしているのは、いつも自分。
ときどきその制限を外して、スマホから目を外して、時刻から目をはずして、電車から見える風景を眺めて、逆列車に乗って。