やっぱり記事にして残しておこう。
表と裏、生と死の話、最近何回も目にしました。
そういうエネルギーなのだろうか。
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それらは同時、なのですが。
この世界で表現するなら、裏、死が先であるということになる。
分かりやすことでいえば、まず思いが先と言われていることに近い。
なぜ、この世界で表現するなら、裏や死が先になるのか。
それは、この世界が、裏や死から生まれた束の間の生であるので、この世界で表現すると、裏や死が前提になるという考え方です。(これはあくまで私の表現です)
別の視点でみると、どちらを表とするか、裏とするか、生とするか、死とするかというのもある。
これもまたこの世界独特の表現である。
こちらの世界での死は、あちらの世界に帰ることでもあり、あちらの世界への新たな生ともいうことができる。
表にいる現状では、あちらは裏になるわけですが、あちらにいれば、そこが表になる。(当たり前ですが)
裏と表の間に立つものは、何か。
それは、人間であり、それこそが人間である。
こだわっているのは、いつだって人間。
裏と表の間で立つというのは、哲学的にいうところの『止揚』(アウフヘーベン)のことを含めています。あえて。
初めから用意された、右が勝ち、左側負けるというのなものを壊す=第三の何か(別次元の何か)を生み出す(現世に顕現)のが、人間の魂から見た本質の一つである。
それは、表も裏のせめぎ合いによって、『止揚』する。
自らの紡ぐ言葉も新しい表現や新しい感覚で知覚できるときというのは、そういう場面であることが多い。
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astrogate-0は、大好きなlast allianceの曲の一つ。
今思えば、とても秀逸なタイトル。
astrogateは、宇宙船に乗る、宇宙への飛行を意味し、そこに『0』が付く。
宇宙という無限への飛行に対して『0』とはどういうことなのだろうか。
そこで、astrogateをastroとgateに分けると。
宇宙への扉と解することもできる。
宇宙(無限)への扉が、『0』であるというのは、面白い。
既に皆様もお気づきの通り、この曲のタイトルや曲に対する解釈は、ラスアラが考えて生み出されたものとは乖離し、完全に私、クジラの世界のものになっています。
この辺りの意味合いを感じとっていただけるととても有意義です。
そして、人生においては、そういう『狂い』を持つということが大切なものの一つでもあります。
その『愛しき狂い』は、自らの領域展開を形成します。
さて、話を戻し。
宇宙への扉『0』とタイトルをつけながら、この曲の中では、astrogateという言葉出てきません。
0時までには、描き終えたいところ。
宇宙をタイトルにしながら、この曲の中では『乱気流』が何度も出てきます。
この『乱気流』が、何を表現しているのかというのが、変わっていくというのが、この曲の面白いところです。
どこに「私」がいるのか。ということ。
そして、確実に立ち上がっている。
私にはそういう曲なのです。
大切なことはいつも大好きな曲の中に描かれている。
『こだわらなければ表も裏も嗚呼一つのコイン』
ここだけだと普通のことですが、
『嘘の悲しみ本当の幸せ嗚呼繋いで
こだわらなければ表も裏も嗚呼一つのコイン』
嘘と本当、悲しみと幸せは対比になっている
それらを『こだわらず』に繋いでみると、それはその両方で一つだったわけです。
この『繋いで』『こだわらなければ』というのが、人間にはなかなか難しく感じてしまうのですが
そんなことはあり得ないって思うわけです。
こだわっているのは、誰なのか?
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ここからサビに入ります。
『吹き荒れて乱気流 意識揺らす感情の波よ
交錯する光、影と』
『吹き荒れろ乱気流 一つだけ吹き飛ばしてくれ僕の心』
交錯しているのは、魂視点の自分と繋がっている肉体としての自分。
…
『ほつれた糸断ち切った日に 嗚呼乾いた瞳に
初めて映る大粒の雫で ふと我にかえる』
人間とは、つくづくそういう生き物であるが、これこそが人間であるとも言える。
一つだったものを失って初めて、一つだったと気づくわけです。
ただ、そこに良い悪いはなく、気づけたということです。
壮大なストーリーの視点でいうなら、世界への貢献でもある。
誰かが気づいたということは、同時に複数が気づいたということでもあり、その物事が現象化しやすくなる。
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『吹き荒れろ乱気流 壊せばいい そして降り注げ無常、理想とか現実とか
吹き荒れた乱気流 一つだけ涙流したよ 醜い心』
無常と理想、現実は同列に描かれている、では『壊せばいい』と言っているものとは何か?
『Letter』で言えば
『ざらついた空に 打ち込まれていた楔(楔)』
でもある。
一つだけ涙流した醜い心の涙とは何か?
『one drop of tear』で謳われている。
2022年に、これだけlast allianceのことを語っているのも私ぐらいでしょう笑
私が彼らから受け取ったものは、あまりにも大きい、しかも私は勝手に過剰に受け取っているのです。
彼らの解釈とは違うでしょうが、思いは同じだと、そう思っています。