最近、好きな漫画で『日本三国』(松本いっか)というものがあります。


先日、ご紹介した『チ。』(魚豊)という漫画もそうですが。


かなり若い漫画家の方が、こういう内容を描くというのが、やっぱり時代なんだなぁと思ったりします。何が人間なのかということが感覚的に分かっている様に感じます。


その他わたしの好きな漫画を挙げますと。


『チェーザレ・ボルジア』(惣領冬実)、『ヴィンランドサガ』(幸村誠)があります。


こちらも「歴史」に関する物語です。


これらの漫画を読んでいると。


『文武』というものが、分かってきます。


そして、その『文』からであっても、『武』からで、突き詰めていくと、他人から見たときに『狂気』、『強烈な信念』に繋がっていきます。


これは、『黒博物館 ゴーストアンドレディ』(藤田和日郎)でも描くかれています。




『チェーザレ・ボルジア 破壊の創造者』について、チェーザレといえば、塩野七生さんの『チェーザレボルジアあるいは優雅なる冷酷』が有名ですが、恐らくこちらの書籍の影響を受けて漫画を描かれている様に思います。


日本人にとってのそれまでの『チェーザレボルジア』像は、それほど有名でないにしろ、残酷な、非道な人物として、ただそれだけだったのではないかと思います。


しかしながら、塩野七生さんが彼に惹かれて、描かれた彼の姿は、少し変わったのではないかと思っています。


恐ろしいが、カッコいい。


機械の様に実行でき、人間らしくないが、持てる全てを費やして生きている。


そんな印象を持ったのを覚えています。


『君主論』で有名なマキャベリが、同じ時代を生き、チェーザレボルジアを観ていたということを考えると、その時代の有名人だったというのは、事実です。魅力的だったでしょう。


イタリアを統一しようとした彼の意志は、天下統一と重ねて見られることも多く、日本人にも共鳴する部分があり、それを塩野七生さんが感じとって、形にしてくださったのかもしれません。




『ヴィンランドサガ』について

こちらもまだ続いていますが。

戦いの果てに、戦いをやめるという生き方を貫く志が、描かれています。


復讐にかられたくさんの人を殺して、その死に苦しみ、命を狙われて、それでも新しい土地、農業のできる土地を探します。


ひたすら苦悩です。そして、その考えは、この時代においては、『狂気』です。




『黒博物館 ゴーストアンドレディ』では。

ナイチンゲールの『狂気』が、描かれています。


自らのうちなる声に気づいてしまった人、いわゆる神の声を聞いてしまった人のその衝動と、そして、他者の思念、信念、恐怖、不安、怒りを化け物として表現されています。


そうそう、『信念』というものが他社から見たときの『狂気』によって、支えられていることが伝わってきます。



最近『ファイアパンチ』(藤本タツキ)も読みました。

これもまた『狂気』ですね。

本当に良いとか、悪いとか、良くわからなくなるぐらいの。

多分、多くのひとが何描きたいんだと混乱します。

混乱するだけども、惹かれる部分があるという感じです。

この作品は、上で紹介されたものよりもかなり分かりづらいのは、恐らく『宇宙人』視点で描かれています。


人間を良く分かってない宇宙人が、人間のやっていることを観ているとき、こんな感じなんだなっていうのを見せられているような視点です。


そして、『神話』というものが、どんな感じで生まれるのか?ということの一つの事実でもある様に感じました。


その時代の人たちにとっては、それほど大したことでもなかったり、事実が歪められたり、そんなこともあるということが描かれています。



『日本三国』と『チ。』の話、してなかった笑


『日本三国』は、マンガワンで3話まで読めます。

怒涛の展開です。

文学を書く人や愛する人、歴史を知る人というのは、『狂気』を持つ人が多いです。


日本文学も、自決したり、早死にしたり、破綻するような生き方をする人もいます。


それは、『人間とは何か?』を死ぬ気で考えて、描いて形にしているわけですから、当たり前です。


その形として残ったもの、自然、時間の淘汰を受けて残ったものを読み続けるとどうなるか?というのが、主人公に現れていて面白いです。


もう一方は、『武』を極めた人もまた『狂気』です。


沢山の言葉が出てきます。

本当に凄い、論語や東洋思想、兵法なんかは、作者本人が良く分かってないと、作品に使えないですから。


えーと、この記事で何を描きたかったかというと。


漫画の紹介と。


漫画の力です。


漫画というのは、『芸術』になっているように思います。


もちろん、漫画の始まりから、『火の鳥』(手塚治虫)が書かれていた頃から、既に『人間とは何か?』ということが描かれているのですから、『芸術』なんですが。


文字の本を読まなく現代人が、『人間とは何か?』に気づくきっかけとしての『芸術』が、漫画なのかなぁと思った次第です。


人は、時代を超えて、文字、書物によって、人間を継承し、歴史を作ってきた。


文字が、書物が歴史そのものと言って、多くの現代人にとってそれほど違いがない様に思います。


もちろん、日本に何回も転生していて、その記憶を全部覚えている人がいたら、間違いだらけでしょう。

勝手に解釈しちゃって〜とか。


でも、言葉そのもの書物として、その時代のものとして残っているのであれば、言葉通りの解釈を間違ってしまう人が多くても、その言葉のエネルギーがその時代のもの、その人のものですから、言葉が分からなくても、何かが伝わるのではないかと思います。

そのとき、解釈が違っちゃっても、その人のエネルギーを、気持ちを本気で受け取ればそれで良いのではないかと思います。


必ずしも、言葉を正確に解釈できても気持ちや思いを理解するとは限らないように思います。


わたしは、それを松下幸之助の言葉、思想の強かった前職の職場で、強く感じました。


その時代の創業者の言葉を本当に理解できて、実践できている人は、ほとんど、ほぼいない。


寧ろ、言葉通りのやってはいけないこともあったりします。


『ファイアパンチ』では、この辺のことも暗に書いているので面白いです。




あと、もう一個。


『シガーダ』(山田玲司)、いつも時代を先取りし過ぎてしまう漫画家で有名なかたです。


完全にインディゴチルドレンの先駆者ですが。


『シカーダ』という漫画を描かれています。


漫画が禁書とされた世界で、漫画のもつ力をSFで表現しています。


キリスト教が、危険だから迫害されていたような世界観です。


今日のブログは、これを書きたかった!


まとまりないけど。