救うのは、自分自身である。


そう、掬うのである。


そして、済う


さらに、援う


救済とは、救って、済ってということ。



ということを思い出しました。


(思い出した?ってなんだ?)



全てに感謝。


全てに己を観ること。


は、同じこと。



否定してもよいけども、それは肯定するまでの過程にすぎない。


そして、救うのは、自らの心。


そう思ってしまった心をそのままにしても、いずれわかるけど…


その心を掬う。


そして、眺める。


そこで、何を言っていた?


そこで、何を見ていた?


もちろん、外側の誰かを助けてもよいけども。


それは、自分が救われたいからだったとすると。


まずは、自分を済う方がいい。



損得や打算があるとき、本心をまだ掬っていない。

それが、人間でもあるんだけども。


損得もあることがわかっていれば、「損得」という言葉に感情は揺れなかったはずだ。


分かっていれば、済っている。


それでも尚、手を出すことは、間違いではない。


きっと援うことができる。