地球で生きるということは、なんらかの刺激があります。
別の言い方をしますと、イベントであり、恩寵でもあります。
それらは、刺激であり、イベントであり、恩寵であって、出来事でしかありません。
そこに、『判断』を入れているのは、自分。
『判断』は、無意識に行われる良い、悪い、快不快、好き嫌いも含まれます。
この『判断』をしないようになったら、悟りなのかもしれませんし、覚醒なのかもしれませんが、だいぶ人間離れしてしまうかと思います笑
ただ、これらの『判断』が薄くなってくるというのは、みずからの感じるところで本当のようです。
しかしながら、そんなのどうしたって出ちゃうときありますよね。
それは、それで良いんだと思います。
またやっちゃった…ってなっても、無意識ですからね。
どれだけ頑張ってというか、頑張ってどうこうするものではないというか。
それよりもどう捉えるか?
またやっちゃった…
またやっちゃった〜
地球にいなかったら、体験できない感覚でもあるわけです。
何かを教えてくれてるのかもしれません。
そうそう、私の舞台に上がった特別ゲストだったり。観客だったり。
私とって糧になることしか起きない。
糧という言い方が、重かったら、私にとっての最高の出来事のための種などでも良いと思います。
種、糧というのは、その出来事を『ニュートラル』なものに捉え直す『方便』です。
プラスとマイナスのイメージを中庸に戻す。
しかしながら、私の今から未来に続くものでもあります。
その『種』に今何を話しかけるかというのも良いかもしれません。
これは、ポジティブ思考に見えるかもしれませんが、少し違います。
『前提』がどこにあるのか?ということです。
刺激やイベントや恩寵は、出来事ということという『前提』があるか、ないか。
これらの物事は『良いこと』『悪いこと』が、『前提』になっているか、ないか。
刺激やイベントや恩寵を『出来事』として、ニュートラルに捉え直す。
もちろん、悲しんでも、痛がっても、嬉しい、喜んでも良いんです。むしろ、刺激に対しては、反応するものです。
それはそれで、感じて。
それは、私にとって為になることしかないと。今と未来にとって。
今日これを感じたことは、そういう意味だったのかとわかるときがきますから。
…
これからの刺激は、薄くなってくるにしろ、出来事自体はなくなりません。
そうすると、『意識の位置』としての『前提』『捉え方』『在り方』をどこ、または、どうするか?ということがやはり大事なようです。
どう生きるか。