最近、このテーマ書いたら、次はこれみたいな感じで、現れたりします。



人生を送る中で、自由意志というものがあることは、もちろんなのですが。


それがないように感じる人がいます。


さあ、この言葉どのように受け取りましたか?



これは、『世界の中にいる』場合でも、『自分の世界にいる』場合でも、そのように言葉にされる方がいます。


『世界の中にいる』場合は、家族がいて、仕事があって、病気があって、友達が…、…、全て外側にあるものによって、雁字搦めになって、自由に選択がない場合のこと。


『自分の世界にいる』場合は、『自分にはこれしかない』という直観に気づいてしまった場合のこと。



自由意志は、あるんですけど。


不思議なことにどっちにしろ自由意志がないような状態になるような感じがします。





『自分にはこれしかない』とか、自分のビジョンが見えてしまって、その感動のエネルギー、振動に気づいて、触れてしまったら、やるでしょ?って話です。


確かに、自由なんですよ。


うわっ、これやりたかったやつ〜って思っちゃったら、他の選択肢があっても、それやると思うんですよね。


そういう圧倒的な直観があったときって、確かに、自由意志なんですけど、絶対やっちゃう。


それって、果たして自由意志なのか問題です。


自由意志なんですけども




歴史のことで言えば、ジャンヌダルクが神の啓示受けちゃった、声聴いちゃったら、もう『やる』の一択しかなかったんです。


神は絶対だから。


ほかの選択肢は、消滅するんですよ。


果たして自由意志なのか?


その問いは、私という存在をどこまで広げるかということでもあります。


ただ単に、あなたの『妄想』でしょ?って思われたりすることもありますが、その通り、『私の世界』の話なんです。


神から声を聴いた、その神も私の世界の神さまな訳です。(本人がそう認識するかは別として)


私が選んでいる。


でも、そういう人ほど『自我』の私は特別(もちろんみんな特別ですし、それぞれ普通でもあります)に選ばれた(選民的な意味で)存在だと思い上がる傲慢さを戒める(抑える)意味で、『選択できない』という風にいう方もいます。


本当は自分の意志なのですが、敢えて自らの一部を外側に置くことで、自らを俯瞰するというか、集合意識よりの自分を自分の本体として置くようなイメージかな。


そうすると全ては与えられているものであるので、自由意志そのものもその与えられているものであり、自由意志があるようで、そうではないという在り方になります。

自由意志がある方が、本体だと思っていないという感じかな、



これも、これまで話してきた『前提』=『在り方』=『私の世界』をどこに置くかということで、全部ひっくり返すことになりますし、同時に全部の見方を内包しているとも言えます。


物事が重層構造と言われているのも、多分そういうことです。





面白いのは、現時点ではなんだか分からないが、これを行うことができない、ここにいくことができない、誰々に会うことができない、という現象が起きたりすることです。


何回約束しても、天気とか、身内のこととかで予定合わないね〜みたいなことでしょうか。


そういう、なぜか選べないと感じることも起きます。


どこかに薄〜い壁みたいなものもあるのかもしれません笑


そうすると、自由意志にも『枠』っぽいのはありそうだと認識します。


『枠』はありますが、限りなく無くすことに力を注ぐこともできます。これが、自由意志の自由度。


それを体験したいこととして設定することもあるでしょうし、それは前やったからそこにはいけないようになっていたりすることもあるんではないかなと思ってます。




ダラダラと私の思いつきを書いてみましたが


全ては『わからぬがよろしい』。


その『わからぬがよろしい』ことを二元論を『前提』とした『意識の位置』に置くのか、二元論の奥に置くのかというのは、大きな違いがあるように思います。


別の言い方で言いますと、人間とは何かとか、魂は何かとか、どこからきたのか、みたいなことを考えさせるような出来事で運命や宿命に関わる事柄に対しては、『わからぬがよろしい』ということで、とりあえず受け入れる。


それは、いずれ分かることもあるし、わからないままかもしれないけど、私に起きたという事実は事実なので、私という存在を構築する一部となったというのは、間違いないわけです。


それを、その出来事を『私の一部』として向かい入れるということ。わからないけども。



まあ、考えてみると、人間は常によくわかってないものを取り込んで、排泄しているのですから、それと同じなんでしょう。


生で時間が経ったら、消化しにくいし。


焼きすぎて黒焦げになっても、消化しにくい。


菌とかウィルスなんかも、そうですね。


まだ分かってないものばかりです。


菌同士勝手に戦ってくれていたりというのもありますし。


我々は、なーんにも分かっていません。


分かっている人いるのかな〜


自分の体でどれだけの菌が繁殖しているのか。


身体が、人間だけのものでもないという方向に想像してみても、『自由意志』って本当にあるの?っていう問いは、結構面白いと思います。



答え!?


そんなの『わからぬがよろしい』。


どこに『前提』を置くかです。


その時々の「答え」はあっていいと思います。




また、思いつきをですが


『方便』が、なぜ赦されるのかという問いも面白そうです。