これは、一つの問いである。


魂から求めること、もの、そこに理由があるのだろうか。


あとからすれば、こういうことだったのでは?


ということは、思い浮かぶかもしれない。


しかしながら、『今』このとき、求める=創造=行動となったとき、そこに理由は必要だろうか。


そんなことをふと、思いました。



人助けをした人は、よく勝手に体が動いたというようなことを言います。


彼らは、理由があったから助けたわけではないのです。


もちろん、そこに居合わせて、手を差し伸べたことに意味はあります。


しかしながら、行動することの理由はあったのだろうか。

そんなこと考えて、行動していたら助けられなかったのでは?


というのに寝ています。





五臓六腑からの感謝


全ては、私の責任


自分を救えるのは、自分


全てには意味がある


全ては自分のためにしかならない


今、ここを生きる



そこに、理由はあるのか?必要なのか?


魂からすれば、あってもいいのかもしれない。


でも、必要なものではない。


そんなところでしょうか。





理由があったり、必要なのは、思考をする人間にとって必要です。


だから、そう言った意味では、魂から求めるものを行動するとき、肉体としての、思考する私に対して、与えるという方法もありではないかと思います。





『魂から求めるもの』を知る方法は、体のほうの自分にも分かるようにすることが大事です。


魂と身体を合わせる。


そうしないと、感情としてのエネルギーが上手くのらない。



『直観で思ったことを言葉や行動にする』


この当たり前を繰り返していくこと。



なんだと思います。



多くの人は、自分が思っている以上に、『自分で』制限を作って、判断して、言葉や行動にしなかったりします。





追記



お風呂で続きが出てきました。


『カッコいい』とか


『可愛い』とか


というのって、あると思うんですが。



これって、おそらく魂から来てるんですよね。



自分の魂に響くから、『かっこいい〜』って感じる。


そういう意味では、理由足りえる。


ここのブログでいうところの『理由』とは、

『他人を納得させるような理由』のことなのかもしれないなぁと思いました。


そりゃ、いらねぇわ笑



子供にさ、理由聴いたら、『だって、カッコいいんだもん!』だったりするじゃないですか。


親は、『よくわかんないけど、そうなんだー』みたいな。



もう一回まとめると。


自分の思考(エゴ)を納得させるような理由があってもいい。魂と身体を合わせるという作業かな。

ただ、それは自分だけの理由っていうのが、大事

『だって、かっこいいんだもん!』

寧ろ、それだけでいい!

『だって、ビビビってきたんだもん!』

そういうこと〜



… 



ウルトラマンが何で好きかって、『かっこいいから』ってことでしょ〜


〇〇星に住んでいた時の、お世話になった〇〇さんに似てるんから、好きなんよ〜とか、言われても困るけど笑笑


それはそれでいいんじゃないかな笑笑