自らの望んだことが、現象化するという本質は、『我』が誤認がしやすい事柄のは一つと言えます。
いわゆる『引き寄せ〇〇』というのが、本質の一部を理論化し、科学(人間が作り出した人工物)であるということにも多くのは気づきだしていることだろうと思います。
観る視点によって、それは『正しく』、別な視点からは、『それだけじゃないんだけどなぁ笑』とも言えます。
それは、人によっての再現性が違うということか抜けているからです。
極端な言い方ですが。
子供と大人が、この法則についての説明を受けた時の理解度は同じか?
男と女が、この法則についての説明を受けた時の理解度は同じか?
この法則を説明している人とあなたは、同じに理解や体感にいるのか?
絶対違うんです。
目に見えない世界のエネルギーを扱う『きっかけ』は、大きく『イメージ』と『呼吸』と『音(言霊)』の3つに寄っています。
それと同時に、それを誰が構築したか?が大切なポイントでもあります。
その構築した人間の格によって、守護されているエネルギーが違うため、扱い世界が変わってきます。
シンプルであればあるほど、『私』よりの守護、繋がりやすいエネルギーによって、扱われる世界になると言えます。
複雑な作法を必要とする場合は、注意が必要で。
その構築した方のエネルギーまでに制限がかかっあり、その方が解消または気づいていないモヤモヤが反映されてしまうというのがあります。
〇〇に敵対するというエネルギーがあれば、そういう仮想的エネルギーが生まれているという感じです。
なので、どこかで合わなくなって使わなかなることってあると思います。
…
あれ、書きたいこととだいぶ外れてきたな笑
いつものことですみません。
出したいことでいっぱいなのかな笑
…
運命は、望んだことが現象化されているんだけども、『我』はそれを「私の望んだことじゃない!」と思ってしまうことが起きたりします。
『魂』としては、望んでいる、別の言い方をすると、持ってきた『魂』エネルギーとして、共鳴してしまうということでもあります。
この自らの『魂』のエネルギーに『我』が自覚的になってくると、
「また来たか〜笑笑」
というところまでいけます。
いけるけど、『感情』は、感情として感じます。
自覚的になるために『気づき』が起こります。
この『気づき』が、何回か自分の人生で起こってくると『運命』ってこういうこと?という輪郭がぼんやりと見えてきます。
この『気づき』というのは、自らの『魂』のエネルギー=やりたい事、使命、役目など言い方は何でもいいですが、これらに『自覚的』になるということです。
と言いながら、私もよくわかりませんが笑笑
そういうことみたいです。
でも、こうやって『自分だけが何だかわからないけど、腑に落ちるような何か』が起こるというのは、とても面白いことのように感じませんか?
その過程で、私は『宇宙人』だ、『地球人』だとか、『妖精』だ、『天使』だ、『悪魔』だ、『侍』だ、『貴族』だと言って、自覚している時期があっても全然いいと思います。
むしろ、全部その通りだと思いますし、それが違ったと思うことになってもいいと思います。
運命の現象化は、自らの魂に自覚的になる=その純度を上げる、取り戻す度に、不思議なことや楽しいことに『気づき』やすくなるようです。
これは、同じ空を見ても、そこに何を観るか?
というのが、全然違うようです。
あとは、
同じ場所にいても、下を見ていたり、うえを見ていたりして、下にある模様に気がついたり、上にある景色に気がついたりするぐらい違いがあります。
その人にとって大事なことが、下にあり、また別の人にとっては、上にあったというだけです。
同じ世界にいるのに。
違う世界を観る。
これもまた運命の現象化の一つの真実であるようです。