言葉の持つ意味は、扱うものの主観によって異なる。
それは仕方がないことだ。
これまでの経験が違うし、読んできた日本語の量が違うから。
日本語の読んできた量が、多ければ多いほど、あっているあっていないは別にして、多くの意味を知った上で扱うことになるので、より本人の伝えたい何かを正確に表現することができるだろう。
後は、相手の問題である。
ただ、相手の反応した言葉を聴くと私の意図したことが伝わったのかどうかはすぐにわかる。
まずは、声に含まれるテンション、反応の速さ、表情から。
それをエネルギーとして感じる人もいることだろう。
次に、言葉、特にこちらが扱った言葉を復唱しているとき、わかっていないときはすぐにわかる。
そのとき、質問あれば、その言葉についての説明をすることができるので、わかってもらえる可能性が生まれる。
しかしながら、相手が受け取ったとしてしまえば、そのままである。
それは、それでよい。
なぜか。
今は、それが本人にとって大事なことだから。
言葉は、より本質的なことを表現しようとするとき、とてもシンプルになる。
ならざるを得ない。
だから、偉人の言葉短い。
短いが、その人の言葉になっているし、難解だ。
そう、難解なのだ。
逆の意味合いの言葉が並ぶし、その言葉の意味はいろんな解釈をできるような言葉を使っている。
その言葉の意味は、その偉人の著作を読む以外には本当のところは分からない。
ナポレオンが、
『私の辞書に不可能の文字は無い』と言ったその意味は。
ナポレオンが、実は辞書の職人で、『不可能』と言う文字を知らずに載せなかったのでは無いし、知っていたけど載せなかったわけでも無い。
でも、ナポレオンのことを全く知らない人は、そう誤解する人もいるかもしれない。
それは、それでいいのだ。
その人にとっては、今は大事では無いし、今後も大事なことでは無いのかもしれない。
その意味を知っている人からすると、実に残念でもったいない話ではあるけども。
例えば、私は、彼の覚悟と孤独さを表した言葉の様に感じます。彼がどんな生涯を送ったかを考えれば、あまりにも普通でない人生において、出てきた様思います、
…
しかしながら、そう言う人であっても。
『明けない夜はない』
というような漫画のキャラクターが言いそうな言葉の意味は分かるかもしれないし、そうではないかもしれない。
「何当たり前のこと言ってんの笑笑 当たり前じゃん笑笑うちら生きてるし笑笑太陽あるし」
と思う人もいるし。
「太陽の周りを回っているからね」
と言う人もいるし。
「そうだよね、そういうときあるよね。」
と言う理解をする人もいるし。
「当たり前だとおもってたんだ、でも、その夜が明けなかった人ももいるんだよ」
と言う人もいるし。
「いや、本当に夜のまま死ぬかと思った」
と言う人もいることだろう。
本質的なことは、とてもシンプルだ。
たから、そういうことを表現するとき、シンプルな言葉を選ぶ、そしてそれは多くの人にとって、身近な言葉を用いているが、捉え方は全く異なる。
では、分からない人には永遠に分からないのかというとそうではない。
昔聴いていた音楽の解釈が変わったり、昔読んだ小説の意味に気がついたりすることがある。
これは、どちらが偉いとか凄いとかということを、いうつもりはない。
演奏したり、小説を書いた方は一ミリもそんなこと思ってもないかもしれないからだ。
それでも、本人にとって、こういうことだったのかと思ったり、ふとしたとき小説の一場面を思い出すことがあるとすれば、それは、今その人にとって少なくとも大事だと言える。
本人が勝手にそう思うのである。
そのとき、音楽や小説は、その可能性を超えたと言える。
本当のところは、その著者の人生の全てが作品に反映されているので、その人生、生き方、信念と自分が通じる部分があったということ。
それが、時空を超えて起こった。
これが『感化』である。
よって、私は精一杯、もがきながら、間違えながら、失敗しながら、私を生き、私を言葉にする。
その言葉は、どんな使い方をしようが、精一杯選んで言葉にしている限り間違いなく、私の人生が、生き方が、信念が載っているし、宣っているので、私が意図したこと以上の何かを伝えることもできるし、また人によっては全く伝わらないかもしれない。
それでよい。
もし、相手を理解したいと思うのであれば、『無知の知』(わかったと思い込まず、また何もわかっていない)という姿勢で、その言葉を反芻し続けることだろう。
分かりたいと思っている限り近づくことはできるし、そう思ったのなら、そういう縁、可能性があると言える。
私の書くこの言葉をもまた『感化』されたもののうち今の時点で自らに共鳴し、体感したものに過ぎません。
解釈は間違っているかもしれないが、それで良い。