「恋」と言う言葉が、ばばっと通り過ぎた。

自分自身はいわゆる『恋愛』という恋は、思い返せばこれがそうだったのかな?というのが、あったりなかったりという感じでした。

それは、元々の私の古臭い考え方所以なのですが笑



恋というと、イメージ的には『叶う』というより、『落ちる』とか『破れる』そういうのが、多い。

そして、多くの人がそういう『上手くいかないかも…』というところでもがいている『儚さ』を楽しんでいるようにも感じます。

多くの人にとって『上手くいかないかも…』ということの共通的なものの代表ですね。


どうなるか分からないから信じるという価値があることの一つです。

恋は、戀とも書きます。

感じからして、心の上に色々なっていてややこしや〜と感じます。言葉で絡まりやすい感じが表現されている?


『こい』には、『希う(こいねがう)』と言う言葉もあります。

これがとても好きな言葉で。

希望の『希』なのですが、『のぞみ』『まれ』と読んだり、希薄というよくに『わずか、ちょっと』というような意味合いもあって、『希望』という言葉が実は『儚さ』を持った言葉であることを教えてくれます。


『希望』とは、そういうものなのです。


別な解釈をすると、『(希)わずかなのぞみ』から『(望)大きなのぞみ』までを『希望』として表しているかもしれないですし、分かりませんが。

『こいねがう』と言う言葉からくるその儚く日本人らしい繊細な音の響きが好きなのです。





「照らすんだ希うヒカリ」

その『灯』は、こちらにあるものか、向こう側にみえる、みようとするものなのか。

そして、こちらとは、誰のことなのか。向こう側とは誰のことなのか。

こちらが放つものが、光とは言っていない。

「全てが消えてしまったって、あなたへの思い放つんだ」

という言葉の儚さが、生命の本質を伝えているように感じるんですね。

『優しさ』は、ズルさになるときもあり、そして、『灯』にもなりうる。

それは、その人のそのときの捉え方なんだ。




「照らすんだ、希うヒカリ」
には、二つの読み方があると思っています。

「希うヒカリに私が照らされる」のか、
「希うヒカリを私が照らす」のか。

分かりにくいが、私は後者として解していた。

希うヒカリは、私の物語の全てを燃やし尽くして、全てが消えってしまったとしても、放つ対象だと思っていた。

だから、私が放つのは、光ではなく、あくまで『思い』となんだと勝手に解していた。

あなた=希うヒカリ=消えてしまうかもしれないヒカリ。

そのときある『優しさ』は、かつてのズルさではなくっているように思うのです。


やっぱりカッコいい詞だなぁ( ^ω^ )

捉え方は、自らの魂のままにそれぞれ。

私の地肉にして、魂のエネルギー。