思考にハマる。


体が痒いと、寝られなくなります。


寝られなくなると、昼間の集中力、気力が落ちます。


やりたいことあったはずなのに、できないなぁと思ってしまいます。


体が痒いんだねと認めてみます。


ですが、これが毎日だったりすると。



『あれっ、毎日そうだな、いつ終わるんだろう』と思ってしまうことがあります。


それも、また来たなぁ〜と感じてみます。


そうこうして、良くなったり悪くなったり。




思考は、思考しています。


これは、仕方がないのですが、それはそれとしてみていること疲れてしまうこともあります。


なぜなら、痒いし、痛いからです。


これは、皆さんそれぞれ何かしらあることですので、わたしだけということではないかと思いますが。


私も認めて欲しいというよりは、客観的に観たいので、書いているという感じです。



そういう現実も自分で作っているというのを感じてみます。


そうすると


この気温や湿度の変化まで私がやっている?

全部の食事について、気をつけるのなんて無理だよ!

という、体からの訴えを感じます。




外側に理由を置いているんですね。


で、その理由を悪いものとして判断している意識もあると気づきます。


その気温や湿度に良い悪いはなく、湿度と気温が変化するから、体はそれに合わせようとして自分に合わないものを出してからいます。


現代の食べ物において、体に良くないものを全て排除することはできません。


それよりは、体に良くないなぁと思いながら、こっそり甘いものを食べる自分もよしよしと罪悪感なく見てあげることや文句を言っている自分も『あり』だとそのまま観ること、なんじゃないかと思ったりします。


で、ときどきこれもまた『思考』によるものなのかなぁと思ったりして、ハマるわけです。





結論は、分かっています。

合わないことを続けているということです。

そこに区切りをつけようとするとき、『思考』により誤魔化しが強く出てきます。


そこじゃないよ。ということです。



聖書における親や子を見捨てるような記述

『子を差し出せ』

『祖にあっては、祖を…』


般若心経における全てを否定するかのような記述


釈迦の前に最後に現れた幻想の喝破


の意味は、ここにあるように思います。