今日もお客さんに厳しいこといっちゃったなぁー


やだなぁ〜


ダメだよ〜とか言われたくないよな〜


という感じで思い返しています。


まあ、言わないのも違うので、ある程度言葉は選んでいます。





『秩序』というのは、組織である限り必要です。


秩序とは、『重力』のようなもので、これがないと、分散して崩壊します。


組織の特定の部署に、何でもいいが志を持った人がいるとその人を中心に『重力』が発生します。


この人の意見聞いたから、大丈夫だと思わせてくれる人っていますよね。


その人です。


それによって、擬似的に組織が保たれていたりします。結構、多いのかもしれない。



ですが、社長を中心とした組織としては、あまり良くないです。


一番は当然ですが、社長の志を中心としての『秩序』としての『重力』があることです。


そのために、社長は、志を社員に明らかにすること、そして誰よりもその志を遵守徹底することが大切です。


それができれば、自然と『秩序』は生まれるのですが、自分の『重力』以上に『物事や人』が増えてしまうと、その重力で捉えることができず、放散していきます。


社長としては、ここを見極めるのが結構難しい、永遠の課題となります。


これは持論ですが、個人が抱えている執着や家庭的な問題は、必ず会社経営にも反映されています。


これは、無意識の部分のでの判断基準が同じだからです。


経営は、選択の連続で経営していない私なんぞわからないぐらいたくさんの方を選択しています。


そうすると、無意識に判断するものが多くなります。


その一つ一つに問われるのは、経営者の生き方そのものであり、事業においては志がそれに当たります。


だから、経営理念がとても大事になるのです。


立ち返るべき指針があるかどうか。


自らを律するものがなければ、どこかで楽な方へ流されてしまいます。


もちろん志に合っていれば楽しても良いのですが。


経営理念は使ってこそ、意味がありますが、その使い方とは、自らを律するために使うということであって、従業員を律するというのは、2番目で、従業員は上司を厳しく見ているものなので、経営者が体現していれば、ある程度の従業員は『負い目』を感じて、勝手にやります。


そのある程度の人が増えていけば、それだけ拡大できるように思います。もちろん拡大が全てではないですが。





『秩序』というと、『制限』の印象があり、今風の自由というものからみると、古いイメージが先行しがちですが、いくら『自由』だといっても『ルール』は必要です。


というより、『制限』があるから『自由』を感じるのです。


何かを為すときは、『制限』をすることで、現実化できます。


言葉からして、周波数というものを人間が発して知覚できるものに『制限』したものが、言葉ですから。


言葉と言われているの周波数帯で話しかけなければ、ほとんどの人には通じません。


言葉という『秩序』を各々設けることで力を持って持ち、発音によって、その力を細かく区切っていると言えます。


その制限された『言葉』の組み合わせによって、