言葉や音を漢字にする古代の人の感性は
やっぱり凄い。
(誰かが言ってそうですが、なんとなく今思ったことを書いてます)
ついでにいうと
『心』を真ん中で『受』けるものが、『愛』です。
深いイイ〜
『心』を相手としてもいいし、自分としてもいいし。
真ん中で『受』けて、包んでる感じですね〜
深いイイ〜
(深くはないか笑笑)
そうすると『愛』というのは、壮大ですね。
『心』を『真ん中』で『受』けているのですから。
重層構造的な視点もあります。
『心』も自分、心を受けとめる主体である『愛』も自分と言えます。
漢字が示している通り、実は「真ん中」で『受』けるというのが、ポイントです。
何でかは、禅問答的には、
『誰かに聴いたら終わりです』
サザエさんの波平さんだと
『ばっかもーーん』
参考程度には聞いてもいいですが、
ちなみに私の回答としては、
『わかんないけど、感覚的にしっくりくるときはあるよね〜』
それにしても、「こころ」を『心』という漢字で表現した人も凄いですよね!
対称性無いし、掴みどころも無い。
あっ、自分で言って思ったけど。
この「掴み所がない」ってのを表現している感じするなぁ。
心を表すのに、一筆にしなかったというセンスが。
旧字とかもあるのかな。
ということで、ひらめきでした。