思い出したので、書いてみます。
面目というと思い出すもの何かありますか?
面目躍如、面目が立つなどがあり、真面目という言葉があります。
面目(面目)とは、『世間に対する顔』のことです。
もう少し分かりにくい言い方をすると、『世間との境界における私の姿』ではないかと思っています。
そこで、「真面目」について意味することは?
『真の面目』(まことのめんぼく)
とは、どういうことなのでしょうか。
『世間との境界における私の真の姿』
それは、私が私を発信している、見せている姿であり、意図的でありながら、間違いなく真の私である姿のことです。
真の私を発信したり、見せるというのが、肝心な部分なんですが、『真面目』というのは、教条的であったり、理性的であったり、寡黙であることを言うのではなく、私の心を素直に発信したり、見せたりするときの世間との境界で露わにしている部分を真面目というのかなと思いました。
言葉というのは、その本来の意味を曲げられていたり、その人の都合の良いイメージが付加されてしまいます。
ここで書いている真面目という言葉も、私の勝手イメージです。
ここで、反転して
相手側からの『真の面目』を考えてみますと
あなたの観ていた私の面目は、『真面目』ではないかもしれないよということがみえてきます。
どうしてか?
私の面目は、あなたの面目に対するものであってそれ以下でも以上でもなく、あなたが思っているイメージを超えることはないからです。
例えば、「あなたは寡黙でしょ」というイメージで私の面目を捉えているとそれ以上にはならない。
それ以外のものがみえなくもなります。
人間は、そんなに単純ではありません、その人が寡黙な理由にはその人なりの理由があり、その結果として、その人は、その相手に対して「寡黙」という面目になっているに過ぎないのです。
その「寡黙」は、思考が長いから寡黙になっているのかもしれないし、何も考えていないから寡黙になっているのかもしれない、そのぐらい違います。
他の人に対しては「寡黙」ですらないかもしれない。
敏感な人は、相手のそういうイメージを感じ取ったとき、その『寡黙』を演じることすらあるでしょう。
それは、『真の面目』なのでしょうか。
あなたがそのとき私に対して『真面目』でなかったのなら、私に観た面目は、『真面目』ではなかったということです。
つまりは、『真面目』とは、相手に使う言葉ではなく、自らの心のあり様に対する言葉であればよいのではないかと思うわけです。
あーでもこれって言葉全般がそういうことになってしまうのかな笑笑
『素直』『正直』であることもまた、同じですね。
求めるものでなく、自分がそうでありたいかどうか。