昨日の夜、その日あったことを思い出していた。

全てを前向きに捉える、いや捉えようとすることは、それもまたエゴが答えを求めているだけのことで、そうではないなあと感じました。

起きたことをそのまま観ると。

その起きたことを私が、エゴの部分で勝手に解釈していたということにも気が付きました。

つまり、私のエゴにとって、都合が悪い(楽できない、どうなるかわからない、これから大変そう)などの感情が発した原因をその相手にしていたということです。

それは、私の側にあったものであって、相手に原因があるわけではなかったのです。


エゴにとっての都合が悪いことというのは、大体が『常識はこうだろう』『法律はこうだろう』とか、一般に良いとされているものを根拠にして、相手が如何に間違っているか、ということを証明しようとします。


それが、その人にとっての『感情』⇨『思考の癖』⇨『行動と言動』のパターンとなっているんですね。

自分は、理性的に思考しているんだと思っているんですが、『相手を批判して、自らを守ろう』としているとき、実は、エゴの感情が先に動いていますし、エゴの理性で状況を分析しています。

そうするともう、もともとの始まりはわかりません。
相手に対してあーだこーだとなってしまいます。

本当の始まりを隠されると言いますか、そこにたどり着けないように思考が動き続けてしまいます。



そこに悪いも良いもなく、肉体から発する不安というエゴ、メンタル体にあるその人の癖の波動は、誰しもが大なり小なり持っているものなので、ただそういうものなわけです。

それを眺めることができれば、まあ、どっちでもいいか(いい加減な開き直りではなく)となります。

理性的に、こことこことがこうなっていれば、問題が生じないことが、理解できます。



というようなことを思い出すきっかけをくれたのは、しばらく聞いてないですが、脳内ではいつでも再生できる大好きな兄貴たちの音楽でした。


KONOYUBITOMARE

by LASTALLIANCE






純粋で競争のない世界は、誰にも開かれている。

それは、その場所を抜け出すということではなくて。(抜け出してもいいし、抜け出すこともまた大事な選択です。)


どこにあるかということより、何を選択して決めるかということなんだろう。

それを気づきともいうし、悟りともいうし、愛ともいうのかな。


『追いつかれたら拍手で見送ろう、きっとそいつは僕より少し歯を食いしばってきんだろう』

『いつまでも舌打ちして普遍不満を重ねても、不公平は一つもない』

『早くKONOYUBITOMARE』






『もし、踏み外させない理由があるのなら、先急げばいいさ』

『この空は変わらないよ』


優しさが深すぎる。

社会人になりたての頃もよく聴いてましたが、『踏み外させない理由があるのなら、先急げばいいさ』って、すごい歌詞だと思います。