イライラしたとき、それがなぜイライラするのか。
その時はすぐにわからなかったりします。
少し時間が空いて、ちょっと思い出してみる。
そうすると、前にもあったなぁそういうの。
ってことを思い出す。
基本的には、
『自分のことを分かってもらえない』とか
『自分のことを否定される』とか
『認めてもらえてない』ということに敏感に反応をしている様に思います。
『認めてもらえてない』というのは、「認めてない」部分も自分にもあるのですが。
新しい生活や仕事をしていると、新しい出来事が現れます。
そのことに対して、不安が大きいか、希望が大きいか。
それは、結局のところ、
『相手をどれだけ信じているのか』
つまりは、
『自分のこと本当に信じてる?』
ということであり、
そういう、『確認』のようにして、新たな出来事が起きているとも言える様な気がします。
新たな出来事は、往々にしてこれまでにないことばかりです。
今回、イライラしたことの中で気づいたことは
①あーそう言えば言ってないこともあったなぁ
②俺だってやりたくてやってんじゃないよ
という本音の気持ち。
言ってないというのは、相手を信じていない→自分を信じていない→何でも話すという結論になりがちですが、本当はそうでなくても良いのです。
問題があるとすれば、『何でも話すことが、誠実であり、正しい』という概念であり、刷り込み。
本当は、何言われても歯食いしばって飲み込むことの方が尊いということもあります。
自由であるということは、その責任を請け負うことでもあり、何でも話すことも、話さないこともその結果を持てばどちらも同じです。
今は、どちらが自分にとって自由であるかということです。
これは、話さないことを正当化しているという話ではなく、話しても話さなくてもどっちでもいいんです。良い悪いはありません。
どういう思いをで話さないのか。
どういう思いをで話すのか。
もう少しわかりやすくいうと、自分が楽になるために話すのか、相手に負担をかけないために話さないのか。
本当はどこにある思いからの行動の選択なのかということに、自覚的になれるかということです。
ならなくてもいいんですが。
でも、普通あんまり何回もおんなじ目に遭いたくないですよね笑
それぞれにとっての思考の癖を認識することは、それによって、その概念が消えていくので、私は大事かなあと思っています。
あと②の方ですね。
あーやっぱやりたくなんだ笑ってことです。
やだけど、やらないと生活できないっていう刷り込みがあるんですね。
だいぶ以前より良い環境なのでありがたいですが。
おそらくは、感情を揺さぶられる様な現象が起きたので、揺らいで現実の方に引っ張られて、また現象化してということが起きているんだと思います。
そうそう、思考が強くなると耳鳴りも強くなるって気がつきました。
多分、エネルギーが集中してるんでしょうね。
昔よりは意識的に外せるようになりましたが、こーであーでってすぐ考えてしまう癖がありました。
やりたくないのは、分かりましたよ笑、