今日はたまたま見た漫画の中で、引っかかる言葉があって、その基となかった話を検索してみたました。


日本神話
ギリシャ神話
キリスト教

至る所で語られている


天を仰ぎ、天を穿つ存在としての神話でした。


エルヒーメルゲン

今の中国とモンゴルの間ぐらい地域の伝承であり神話でした。


『太陽(天)に向けて放つ矢』
『虎と牛の子ら』

これは、私にとってはそういうことであったというお話です。


太陽に向けて矢を射る、虎と牛の子らという暗示は、天津神から国津神に落とされた素戔嗚であり、ティーターンからオリュンポスへと落とされたゼウス、天使から魔王へ堕ちたルシファー、閻魔大王が地蔵菩薩の化身であり、初めての人間である。

というような存在の神話の一つの伝承方法のように感じてならない。

つまりは、人間とはそういう存在なのだということ。


特に、今回引っかかったメルゲン=神せんの矢
は、日本に由来する考え方に近い。

というより、日本に入ってくる前の伝承なのかもしれない。


虎と牛とは、丑、寅であり、艮をさす。

これは、鬼門とされる組み合わせであり、深夜2時をさす。

私がこの言葉を書いた瞬間も深夜2時だった。


牛と虎は、鬼の象徴であるが、これは人間一面を戒めているものであるようにも感じます。


鬼が、先にいたのではなく、人間が鬼になった。もしくは、鬼(怒り、悲しみ)の側面を外へ分離した姿であったように思います。

そういうものが、外にいることにして、存在を信仰化したのではないでしょうか。

鬼は、魂から「左にある何か」から離れてしまったもので、表現されることからも、人として一部を分離した姿というのは、的を得ているように思います。


牛と虎の子らが放つ天への矢は、素戔嗚やゼウス、ルシフェルが、抱えまたは引き受けた痛みや悲しみ、怒りという激しさ、荒々しさ。

それは、良くも悪くも作用する宇宙の力の根源を表しているようにも思います。

また自らをも焼き尽くす様な痛み、それは、人が人間として生まれ落ちるときの痛みの様に思います。

痛みというと言葉が、よくないのかもしれませんが。

私にとっては、次元を超えて、地球に顕現する痛みは、今は「痛み」としてしか表現できないようです。

そして、痛みとともに全てを忘れて生まれ落ちた彼らが見上げるものは、太陽であり、天であった。天とは宇宙であり、時代によっては前文明でもあった様に思います。

帰りたい、還りたい、思い出したいという単純なものではなく、『気になる何か』、それが『何となく天にあるという直観』の衝動を神話として表したとき、とても激しい戦い、場合によっては、それを悪や罪としての神話になったのではないだろうか。

『気になる何か』とは、故郷であり、私であり、宇宙であるから、そう感じるのは当たり前のことです。


そして、それは全人類の神話に直結する人間としての魂の衝動のように思います。


なんていう真夜中の独り言でした。

おやすみない