最近は、『受け入れることと引き受けないこと』
『言葉の奥にあるもの』について、考えていました。
物事は、シンプルなんですが、それをフィルターを通してみることで複雑にしてしまうのが、人間です。
しかも、そのフィルターは、分かりにくいし、自分で気付かなきゃ意味がない。
気づかなくてもいいんですが。いつか気づくので。
この早く何とかしたいという気持ちもフィルターのひとつでしょう。
何で早く何とかしないといけないんでしょう笑笑
こうして言葉にすると、少し俯瞰してみれます。
誰が誰に言ってるんですか??
私が、私に言っているんです。
誰も私に押し付けてはいない、私がこの人はこういう意味合いで言っているだと思い込んでいるだけ、そう感じ取っているのは?自分。
そう解釈しているのは?自分。
つまり、私が私にそう思わせているということ。
それになかなか気づけない。
だから、複雑になってしまいますね。
kuさん風に言うなら、ハイアーセルフが分かるまで何回でもあなたの前に見せてくれているということ。それは、慈愛とも言えます。
…
『受け入れることと引き受けないこと』
受け入れるというのは、自分ごととして認識すること。
引き受けるかどうかというのは、本来は受け入れた後どうするかということ。
巻き込まれているというのは、受け入れていないのに受け入れているとか、私は引き受けているとか、私がどうにかするしかないじゃんと思い込んでいること。
今、受け入れると引き受けると巻き込まれるが、一緒になって、わからなくなっているような人もいるかと思います。
こうして書いてみると、結局、受け入れるのが難しいって感じてしまいますが、難しくしているのは、その個々のフィルターに気づかないからです。
他人からはよくみえてるのに、本人はなかなか気づかない。
きっかけの探し方は、簡単で相手に言われて過剰に反応する部分のその奥にあるものです。
奥にというのは、その言葉や現象自体に意味があるのではなく、その奥というか、もっと前であり、当たり前だと思っていることです。
当たり前だと思っているから、気付きにくいんですが笑
でも、それを見つめると消えます。
『受け入れる』というのは、事実を観るということが肝要かと思います。私にとっての。
何が起きたのかという事実、どこに反応したのかという事実を眺める。
…
『言葉の奥にあるもの』
人は、他人の言葉を引用していることが殆どです。
10数年前に就活しているとき、全然自分の言葉ないなぁと思いました。
そのときは、そうか、大した経験してないもんなという結論でしたが、それでも合間に言葉について、考えていました。
『適当』や『技術』などについても、この頃に確立していったように思います。
結局は、誰かの引用に近い感じですが、その誰かの言葉に惹かれて、その人の言葉をそう解釈したのは、わたしなのですから、そこまで考えれば、それは何とかわたしの言葉になったと言えるのではないかと思います。
それでもわたしの言葉というのは、おこがましいことですね。
私を示す言葉に出会えたという感じが正しいかもしれない。
ありがたいことです。
日常に聴き心地が良い、聴き慣れた言葉が、当たり前のように飛び交うようになりました。
ても、その言葉の本当の意味を捉えている人はどれだけいるでしょう。
結局は、誰かの説明を鵜呑みにしたり、勝手にぼんやりとした解釈をしているだけなのが、ほとんどではないでしょうか。私も含めて。
情報に触れるたびに、この人は何が言いたいのだろうと眺めてみるのですが、本当に?って思うことも色々あります。
もちろん、相手も押し付けているわけではなく、善意でやっているわけで、それもわかります。
なので、そういう世界線もあるのかと受け取っています。
でも、まぁ、自分の世界を世に問うというときは、必ずそうなるんだろうなぁと思います。
批判もあるし、その批判される部分を好む人も現れる。
それぞれが合うところにつながるのが、良いのでしょう。
そうして、私だったら何を問うのだろうかと思います。
わたしはまだそれを掴み切れていないので、世に問う人よりも、責任やリスクを負っていません。
批評する権利もないな笑笑
そうやって、世の中に顔出したり名前だしたり、自分の主義主張を何かを伝えている人を本当に凄いと思います。
そういう意味では、リスクをとって伝えている彼らの多くが、それぞれ言っていることは、やはりそれぞれ真実なのでしょう。