寝る前に無性に両親や祖父母、祖先に感謝することがある。

ある人から見れば、当たり前でしょ。

またある人から見れば、「おっおう…」と思われることですが。


これは言わば、瞑想の一種。


先祖供養瞑想なのだと思う。

正式なやり方ではないですが。



これは、寝ている時だけでなく、起きている時もそうやって考えていることがある。

なぜかはわからないが、今思えば、そうやって瞑想していたのでしょう。


昨日は、そうしてイメージしていると気づいたことがあった。


『自分のものなど一つもない』

あるとすれば、わたしという空(から)なのだろうと思う。


どういうことか。

肉体は、当然父と母の血肉、遺伝子からいただいたものであるが。

それだけではなかった。

父からは『誠実、忠誠、孝、仁』、母からは『愛、仁』。

当たり前過ぎて、気づかなかった。

もちろんそれ以外も受け取っているのですが、ここでは特に強いものを記載しています。


受け取るものは、人それぞれでしょう。

母から『義』を受け取り、父から『愛、仁』を強く得る人もいるでしょう。

ここでいう父と母は、直接的な血のつながりだけに留まらない。

養父母であっても、祖父母に育てられても、考え方は同じ。

自分を育ててくれた誰かがいなければ、ここに今存在していないので、必ずいます。

それが地域の人もいるでしょう。




幸いにも、私のことを最も信頼していると言ってくれる親友がいる。

そこのことに謙遜をしながらも、どこかそれは私のものだと思っていた。

しかし、それはそうではなかった。

もちろん彼と物理的に接していたのは、私という個人であるのだが、彼にとって私をそう思うような資質や容姿を与えてくれたのは両親であり、祖先から連なる『信』に他ならない。


この人は絶対に裏切らないという体感を気づかないほどに当たり前に与えてくれた存在によって、わたしは「人を信じ、また人によっては信頼を得られる」存在になれたと言える。

その信頼の根幹は、私のものではない。

私は、私という『空』に注いでもらった『信』によって、私になったようだ。

過去の祖先の信頼の全ての集積が、私に入っている。

これは、感謝しかない。