人間は、物事を難しくするのが好きだ。

まあ、それによって仕事を作っているとも言える。

「そんなこと言わなくてもわかるだろ!」

で終わっていたことについて、あれこれ理由をつけて、外側の世界へ誘う。

厄介なのは、そのあれこれにはその理由を考えた人のとても曖昧な価値観が紛れているということ。

理由をつけた人は、当たり前としてやっているから、そんなつもりは毛頭ないのだが、残念なことに必ずその人にとって都合の良い価値観が入ってしまう。


分かりやすくいうと、仕事をするとき、全体を把握したい人、とりあえずあるものから片っ端にやる人がいる。

このどちらの人が、マニュアルを作るかというだけで、全然変わってくる。

さらに、全体を把握する人が、全体の時間を大事にするのか、人を大事にするのかによって、文章の量や使う言葉が変わる。

その文章は、その人の読んできた言葉の数、考えてきた言葉の数によっても変わる。


つまり、一見形式的で合理的なことを書いてあるように思えるものも、突き詰めれば、1人の人間の価値観、経験からの言葉、思いという曖昧なもの(目に見えないという意味で)になる。


となると、その価値観を見つけた人間、創造主たる人間しか、真実は分からない上に、みんなでその人に依存しているわけだから、当然、その創造主たる人間の都合の良いようになっていて当たり前とも言える。


マニュアル的なもので、理解するのは大変役に立つが、その点を自覚的に読むことが肝要である。


もっというとそこに書いてあるその人が見つけた価値観が、大事なのではなく、どういう思いでそこにたどり着いたのかということが、本当の価値であって、その価値観はやはり副産物として、現象したというのが、正しいように思う。


マニュアルがあれば、あるほど感覚、五感から繋がる六感としての曖昧なバランスやタイミング、間を忘れてしまうように思う。





先日もマドモアゼル愛先生の動画を紹介しましたが、マドモアゼル愛先生が発見した価値は、あの方が長年苦悩し気づいた過程に価値があるのであって、あのとき話をされた言葉に価値があるのではない。(もちろん現代の占星術学としては、その言葉もとても価値はあります。ここでは、1人の人生としての価値を言っています)

言葉にされたことは、気づかれたことのほんの一部である。

これまでの長年の経験と研究により、気づき、その一部を何とか言葉に出来たのである。


『月』一つの言葉をとっても、彼と私では根本的なもともとの意味や知識が異なる。

その時点で本当に理解することはできない。

出来ないのですが、出来ると信じて話を聴くと何となくわかる部分がある。

それが、私の中の真実であるということではないかと思います。