分かった様に話をしていても、体験が後から来ることで定評があるくじらです。
そんな体験?うる覚えの話です。
今日の夢の中での話。
何の脈絡もなく、呼吸をしていました。
瞑想なのかもしれません。
そのときはまだ夢だとか思ってません。
久しぶりに瞑想している、そんな感じです。
吸うと吐くを繰り返し、ハートを意識していったとき、おーなんか明るいなあ〜いい感じかな〜とか思っていたら、光が向かってくると言うか、光に包まれるというか、光に引き込まれるというか、その全部ですかね。
吸い込まれるというのが、良いかもしれません。
それは、ある方が言っていた自らの宇宙に繋がったときは、ハートの中に吸い込まれると言っていたことに近いようにも思いました。
そうそう、あくまでその「光」は、自らの世界の中の「光」であり、「宇宙」は、自らの「宇宙」です。
で、これに吸い込まれた先に何かあったのかは、覚えてないのですが。
感情として、「穏やか」で、人によってはそれをもって「至福」というのだと思います。
その「宇宙」と「光」を『抜けた』先には、「穏やか」があった。
誰がいたとか、何があるとかそういう景色は、全く覚えてないのですが、「これかー」みたいな感じと、「柔らかい、満たされる様な」そんな体感はありました。
という具体的には全く何のことか分からない話でした。
次は、向こう側の世界を覚えて戻ってきたいと思います。
…
呼吸を意識する場所は、「人間の始まり、支点であり、始点である場所」です。
物理的にも本人が生じた場所こそが、その個々人の宇宙がある場所だと私は思っています。
それは、「心臓」が生じるよりももう少し前の瞬間の場所である様に思いますので、厳密には「心臓の位置からはズレます。
それは、自己固有の位置です。感覚で掴むしかありません。自分でもよくわかっていません。
多分、この辺だろうという直観でよいと思います。
心臓が右寄りの人は、左寄りの方より、中心から右にあることでしょう。
自らの中心、支点にして、始点に呼吸を加えるとすると、それは「宇宙の胎動」に他なりません。
「呼吸」を可能にしているのは、人間の機能で言うと主に「肺」によるものです。
非常に興味深いことに、「肺」は、人間の臓器の中で一番最後に作られます。
人間の生物としての進化の過程を考えると当然の様ですが、この事実はとても重要です。
「心臓」→「肝臓」→…→「肺」
他の臓器も当然、全て重要なのですが、心臓から始まり、肝臓や脳や腸が出来て、もう一度、中心である「肺」に戻ってくるそういう風にも見えます。
なんか今書きながら分かった様な気がしたのですが、『経絡』や『ツボ』と呼ばれるものは、このとき、同時に発達したした部位が関係しているのかもしれませんね。
例えば、肝臓ができはじた時に、股関節ができたとか、肝臓が大きくなったときに足の指ができたとか。(これらは適当に書いてます、関係はありません)
…
話戻して。
再び臓器の発達が、中心に戻ってくるというのが興味深いと思いませんか。
体の中心には、「鼓動」としての「振動」の始点と「呼吸」としての「振動」の始点が重なっているわけです。
すなわち、人間の体を物理的に一つの宇宙としてみれば、それは「心臓」と「肺」が始点ということです。
肺が、心臓を覆っているというのもまた非常に興味深いです。
「心臓」の鼓動の振動を「肺」の呼吸による振動が、覆っているとはどういうことなのか。
呼吸を整えるとは、どういうことなのか。
この二つが、振動である限り、共鳴する振動があるはずです。
この「振動」が、重なるまたは共鳴するとき何が起こるか。
音楽で言えば、共鳴により「倍音」が生じます。
これは、私なりの解釈ですが、「倍音」は、「共鳴によりもともと存在しなかった音」が聴こえるというものと捉えています。
もう少し、視点を変えると「共鳴」によって、本当は存在しているんだけども、3次元には存在できなかったものを「倍音」によって、表しているとも言えます。
この「心臓」と「肺」も、「整える」ことで、共鳴から倍音を生み、自らの宇宙には前からあるけども3次元には存在できなかったものを存在させることができるのではないかと思います。
これが、自らの宇宙を表現し、その力を現実に表す根源的な力の源(物理的な意味で)を使う一つの原理であり正体のような気がします。
そこで重要になってくるのが、「整える」ために『精神』を立てる。
自らの軸の存在が、大きく絡んできます。
呼吸をいくら整えようと思っても、「嫌な概念」に囚われていたら、なかなか整わないですよね。
…
今日も書きたいことを書けたので、満足です。
これは、私の世界の話で、勝手に分かったことをお話ししてます。