目の前に起きることが、運命。
その運命は、自己固有のものであり。
相手のせいにしているうちは気づけない。
自らの振動と相手の振動の共鳴により現れたと言える。
そうすると、少なくとも自分がいなければ、私と相手との間で生じた問題は発生しなかったわけです。
そのお相手のほうは、他の人との共鳴により、現れる可能性もありますが、わたしとの間の現れと全く同じとは言えない。
なぜなら、わたしはいないからである。
そうするとやはり、わたしの目の前に起きたことは、わたしが存在するだけで、わたしに起因していると言わざるを得ない。良いとか悪いではない。
人は、そのことを認めたくないのだ。
自分にそんなおぞましいものはないと感情が揺れてないだろうか?
揺れているのなら、そういうことだ。
なぜおぞましいと思う?
おぞましいことをしていたか、されたか。
ということがあったのでしょう。
解決法を知りたい?
解決は、問題を作る言葉だ。
解決するかは分かりません。
解決しようとすることは、問題を探す、人間的にいうと粗を探す。そうそう、波動の粗いところが目につきますよね。
解決を探すということは、問題を探すということ。
それが一見解決しているように見えても、それはあなたのエネルギーがたまたま相手に勝った過ぎない。エゴが満足したに過ぎない。
無理をすれば、周りの誰かを失って、それにすら気づけないだろう。
幸いにも、その問題には直接関係ないから気づかないだけで、物理的な欲を満足させようとすると、その分、見えない部分が疲弊する。
だから、物理的にやり過ぎたことのある人は、案外程度を知っていたりする。
やりすぎたことで、その時期こういうこともあったなぁっていう体感、それ魂から来るものなんだけどもね。
…
『コンサル』というのは、流行のようであるが、「情報収集」「分析、比較」「問題発見」「解決」というのは、他社の軸に入りやすい。
本当は、自分の軸が先に立てば、それにあった情報が来るので、結果なぜかそういう解決に収束なる。まあ、そういうエネルギーから始まっているからなのですが。
自らの軸を持たず、「問題」を解決しようとするのは、とても大変で、多くの人に振り回される。
なので、何か軸があるといい。
例えば、わたしの場合『相手の生き方=信念=軸が相手の事業そのものなので、周りは関係ない』という軸があります。
数字を扱っている人間が、これを言っちゃうのは、矛盾しているんですが。私は私の体感からそう思っているだけです。
比較する必要などない。
だって、同じ事業なんかあり得ないから。
圧倒的な自分の世界、軸がある人は、古いことをやっても新しいことをやっても、うまくできる。
というより、新しいことをやっているようで、古い技術や芸術、哲学、心理、叡智に沿っているというのが、本当のところだと思う。
表面的に新しいことをやっても、それが表面的だと気づかなければ、それまででしょう。
あれっ新しいことなんだけど、昔自分がやっていたアレと似ている、両親が言ってたことと同じじゃん、というところに気づいたとすれば、それはその人にとっての道のように思う。
自らのDNAをフル稼働しているってこと。
…
スピリチュアルをある程度学んできている人にとって相手に問題があると思っているときに、辛いのはこれも「俺」なの?っていう感覚。
確かに、わたしの振動が相手の振動により、現れているわけですから。
私なんですけど笑
相手にとっても「私(自分)」なのです。
問題というものがあるとすれば(本当はないんですが)、それは過度に自分や相手のせいにするということ。
それは「中庸」でよいのです。
私の中に、そういう面もあったんだー、わかった(認識した)、ありがとう!さよなら!
で、OKです。
でも、エゴは、いやいやそうは言ってもまだ『問題』解決してないよ!!解決しなきゃ、なんとかしなきゃ、助けて〜というのがあります。
設定として人間としての転生が多いとそこに引っ張られてしまいやすいのは仕方がないんですが…
外せる人は外しましょう。
半分は、相手がやりたいことでもあるので、行くとこまでいっとくれーと『委ねる』、これを【相手を信じる』とも言います。
相手を信じると同時にわたしを信じてないとできないんです。
近く親しい人であればある程、そうでしょう。
だから、半分は相手に委ね、そこにエネルギーを使わない、執着しない、特に『相手をどうにかしようとする行為』は、その半分より向こう側に踏み込んでいるので、エネルギー持ってかれます。
というか、疲れます。
私が、執着しているのと同じだけ、相手もその現象の原因をわたしに執着してしまうためです。
相手も疲れますね。
その相手に向けてしまうエネルギー、「問題」に注ぐエネルギーは、現象に力を持ち強くなります。
まあ、それが一定を超えれば、すべてが明らかになる、つまり現象としても問題が問題になくなるというのもあるんですが。
誰しもなるべくそういうことに関わりたくないですよね笑
で、私はなにをするのかということですが。
①その現象によって、私の方にある理由、気づきを認識する。これは、その現象そのものに理由がないことがほとんどです。とりあえず眺めましょう。
②相手に委ねる。=相手を信じる。
で、①と②というのは、『自分を信じる』ということで、表裏から一つになります。このバランスが『中庸』であり、「軸」なんですね。そして、
『地に足がついていること』
特に、私がお世話になっている方は、圧倒的にここのところを強調されます。
多分、次元を上げていく作用は、そういう流れなので、難しいことではなく、その流れに乗って、上がっていく(あえて上という言葉を使います)には、下に同じだけの「反作用」が働いていないと「安定」しないということです。
これを「地に足をつける」と言っている。
別の言葉でいいましょうか。
『お前は今は地球の物質でできた存在でもあるんだよ』
引力と斥力は、作用と反作用という言葉表されるが、宇宙における法則そのものでもある。
これが分かりにくい人には、人間を一つの星にと観るというのもあります。
『貴方も一つの世界、宇宙、そして星である』
惑星が大きくなればなるほど、その星は、どこかにある中心に向かう引力とそれから離れようとする斥力によって、収縮し、存在している。
それは、我々人間また例外ではないということです。
いろんな方がいろんな風に言ってます。
⭕️
YES
負
死
霊主
ゼロ
底
少なくとも私には、それぞれの言葉のあらわそうとしている本質は、同じように感じ取れる。
極端な話、『安心すること』と『死をもって生きる』も同じことを言っているように感じる。
それぞれがどうか感じるのかということでよいかと思います。