ウォーリーを探せ!ってご存知ですか。

ウォーリー、ウォーリー、

ドント、ウォーリー。

心配ないさー

ん?って思って

僕らは「心配(ウォーリー)」を探していたんだね。



なんとも洒落の効いた絵本なこと笑

人は知らない間にいつも「心配」を探していて、あのウォーリーを探せの中にあるように全体としての背景や世界観を見落としていたとすれば、非常にもったいないことをしていたのかも笑



あのページをめくると始まる『この中に本当にウォーリーがいるのか?見つけられるのか?』という心配は、そういう設定が与えられることで、ゲームにのめり込まされていることを教えてくれていたんですね。


終わったと思って、次のページをめくるとまた心配が始まります。何かと似てるなぁ笑


そうそう、これは一つの観た方です。
そうじゃない見方も分かっています。



心配とワクワクは、紙一重で


ウォーリーを探せ!のように、ページをめくれば沢山の世界、可能性があって、その心配を実は探さなくてもいいことを知っていたりすると、その心配はこの人生を言葉通り精一杯満喫するためにある一つのエッセンスというふうに眺めてみることもできます。


このページしかないんだ!、ウォーリー(この世界の神)を見つけないと私の物語は、終わってしまう、ここから出られないと思うと、心配しかない…

これは、少々大袈裟な言い方ですが、我々の世界も人によってはそんな面があるように思います。

紙一重ですね。



もちろん、今のわたしにとってこの世界だけなのですが、〜しないといけないといういうことはないので、ウォーリーを見つけなくても、その世界観をあっち行ったり、こっち行ったりしてみて、ウォーリーの奥さんを探して見てもいいし、見たいものを観ていいんです。


ウォーリー自身は、何も心配なんかしていない笑
ってのがミソ。

ドント、ウォーリー!なわけです。

その1ページ、1ページの世界観を楽しんでいるだけ。

きっと、次は、どこ行こうかな〜とか。


ウォーリー自身になってみて、ウォーリーの世界を眺めてみるのは、いかがでしょう。

この世界だったら、どこ行ってみようかな、どこ通ってみようかなって感じで、ウォーリー見つけたらラッキーってのも、ありなんじゃないかな〜

きっとこれまでと違う何か新鮮な気持ちで、この絵本を観ることが出来るように思います。

それが、本当のウォーリーを探せの本意のように今思いました。


ウォーリーになりきって、旅してみて、やっぱ俺とは違うなぁって思って、次のページ行っちゃったりして、そんなのもあり。


そんなウォーリーの話でした。


ちなみに、外国ではウォーリーって名前ではないようです。