はい〜、始まりました。

自分のことをあーでもない、こーでもないと語るくじら🐳の時間。

くじらアワーです。

関東からお送りしております。






こんなテンションで…初めてみるのも悪くないだろう






ナマスピを始めた日に、私は一つの概念、観念、癖を外しました。

外したと言ってもまだあるんですが、そういう観念があったということを掴んで持っているという感じでしょうか。

これまでの35年間は、頭に乗っかっていて気づかずにそれが自分だと言い張っていました。

starseed kuさんの言葉をお借りするなら、『物体X』のことですね。


いつもの如く良い悪いではないんですけどね。



今多くの人が、そういう癖、観念、概念とね。向き合っているというか、向き合わされているというか。
そう思うんですよ。

私の言葉で言うと、『常識』。

「私はこういう人間だ、だから〇〇なんだ」

その挙げ句

「世の中そうなんだから、仕方ないだろう」

「そうしないと生きていけないよ」

という私。




そうやって、私はその自らの作り上げた『常識』によって、わざわざ自らそういう目に遭ってきた。

この言葉、外側から言われると嫌なんですよ、その最中の人にとっては、私が悪いってこと?って感じてしまうから。
悪いとか良いではないのですが、絶賛苦しい=悪いことになっている人に分かれということを言葉でいくら言っても厳しい。

その時周りの人ができることは、相手をそのままそうなんだねと肯定することか、突き放すことだろう。

今の流れであれば、突き放すという荒療治は不要なのかもしない。それは個々に任せるほかない。


そういう私も「今」は分かっていますが、渦中では考えたり、本を読んだりなどなど何かないかとやってしまったり、外側に奇跡を求めがちでした。奇跡はいつもあったんですが、求めていたものではなかったので、見えなかったというのが、真実ですね。

うん。

でも、私の場合は、この私の混沌な体験と思考と情報を消化して、記事にしていくという作業も気づくきっかけになっていると感じます。

書いていく中で、読み返していく中で、あともう少し、あともう少しという感覚がありました。

でも、言葉にならない。

言葉にならないのなら、詩でも絵でも歌でもいいんです。

私は、言葉を読み、書くというのが良かっただけです。




『常識』的であろうとすること。

私の中での『常識、正義、当たり前、諦め』は、今は私の手の中にあります。

使ってもいいんです。

使わなくてもいいんです。


『宇宙』は、その原初から混沌であり、人間の頭で測れるものではない。

右に行ったのであれは、それだけ左があるというだけ。

話が飛躍しているようで、全く飛躍はしていません。

同じ話です。


私が求めた『常識』は、それだけ反対の『非常識』を見せてくれました。右に行った分だけ、左を見たということです。

そして、私自身がその『常識』から外れながら生きてきたわけです笑

そういう概念、観念、癖をカルマと言えば、カルマにもなりますが、もう少し自分に引き寄せてみると、自らの習慣、育った環境、慣習なのだろうと思います。

その慣習、習慣、環境によって育ち今の命があるのですから、やはり良い悪いではないです。

ここまで大きくなるのに必要であって、今はあまり必要でないものもあるのかもしれません。



世界の歴史を見てみてみるとそういうことだらけです。たかだか人間の歴史のなかでさえそうなのです。

良いこと、必要なこととされていたことが、時間の流れの中で、悪いこと、不要なことになり、淘汰されていく。

昔の人は、そういうのを【無常観】として認識していた。

常は無い。

言葉で分かった気になっても体感しないと分からない。




pillowsのストレンジカメレオンという曲を思い出した。

カメレオンのお話です。

YouTube貼れないので、動画なしですが。