ふと、逆説というか。
思い浮かんで。
平等というと、その頭に何かが略されていること気がつきました。
「法の下に」という言葉です。
平等というのは、「法の下に平等」とされています。
多くの国では、王と民との戦いの血の歴史によって勝ち取った「人権」、「自由」というものから生じた法の原則的なものです。多分
何で「法の下に平等」なのか。
法の下でない場合は、人間は平等ではないからです。
だから、わざわざ言葉にしているとふと思いました。
例えば、日本に生まれた私とアメリカに生まれた誰かは、絶対平等ではありません。
上とか下とかではなく、日本に生まれたということとアメリカに生まれたということは、圧倒的に違うわけです。
何なら法律も違うから、「法の下に平等ではない」とも言えます。
人間に真に平等あるとすれば、それは『死』。
というのを本で読みました。
確かにそうだなと思いました。
肉体的な『死』は、誰にもあります。
いつか?というのが、違うだけで、必ず訪れます。
人間が平等だと思っているから、自分だけがなんでこんな目にと思ってしまうんだなぁと。
そりゃ、初めから同じ人はいないわけで、平等であることが幻想であるし、その平等でない体験、自己固有の体験、体現をしたいのだから、それでいいのだ!
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プロメテウスの火を持って