もじゃなつさん


こんにちは(o^^o)



意識すればするほど、覚醒や悟りから離れるという感覚分かります。

そうやって、意識(頭で考えて)して覚醒した、悟ったという思い込みの末、選民意識になってしまったりする方もいるのかもしれません…

気をつけないと外側に既にある思想や偶像、リーダーに依存してしまいがちですね。


逆に、本当に覚醒や悟っている人は、それらや外側にあるものを意識しないで、既に体感して体現している感じがします。


覚醒や悟りは、今の状態を指す言葉だと思うので、既に「自分を知って、今を生ききる」ことができている人がそういう状態なのかなと思います(o^^o)

その「自分を知る」というのが、大変厄介なのですが笑


私自身は、知識や理屈は分かっていても、体感が今ひとつという感じです笑
その体感に理屈を求めてしまうから
それが自分なんだよって認めるだけなんですけど。
最近やっと一つ分かった感じです。




以下、言葉がでてきたので、少しだけかかせてください。




私の知り合いに、人間のいう愛するという言葉に興味がないという方がいます。


言葉で書くととても、冷たい感じになっていますが、それは此の方の体感して体現している「愛」が、一般的に人間同士が恋愛関係でいう「愛」と全然違うからです。

全ての人がそうだとは言いませんが、多くの人間が「愛する」という言葉を自分のため(エゴ)に言っているように感じるのだそうです。

その方を見ていると、愛とはそういうものではなく、命がけで自分から発して相手に捧げるもののように感じます。あまり口に出しません。決して強要もしません。その方はそうやって生きてこられているというだけです。

この感覚が、覚醒や悟りの状態にあるかというポイントのような気がします。

命がけというと、大袈裟に聞こえてしまう人もいるかもしれませんが、要するに今を大切に生き切るということです。これも人によっては難しいと感じるかもしれませんが。


大昔の宗教が、なぜ厳しく激しく修行や戒律を課すのかは、そうしないと多くの人は、愛に気づけないからではないかと考えています。
命がけで肉体を捨てていった中で、たまたま神秘的な体験をして、やっと宇宙的な愛に気づく=覚醒、悟りに至っていたのだと思います。
仮の姿なんだ、魂が本体なんだ、生かされているんだって。

なんでここまでしないと気づけなかったかというのは、いろんな考え方がありますが、そういう時代を人類が過ごすことが必然だったのかもしれないですね。

現在は、体を持って次元が上がっていく、覚醒していくという流れのようなので、体があるということ、地に足がついていることもとても大事ですね。


愛とは、本来そういう命がけのものだからこそ、既に実践されている方は、今を生き切る、また別の人はいつ死んでもいいというのではないかと思います。

いつ死んでもいいという言葉は、これまでも今も全力で生きているからこそ、いつ死んでもいいという気概であって、その人なりの言い方になっているだけで、全力で生ききるということを言っているだけです。

言葉は難しいですね。

みんな実は同じことを表現されているのに、逆の言葉を使われるので、誤解が生じやすい。

でも、それが人間なんだなぁと

その人の経験が強烈であればあるほど、他者からみるとその方の言葉が独特なものになり伝わりにくくなってしまうこともあります。

松下幸之助の言葉を誰一人として理解できなかったというのも、同じことです。



 

物理学的にいうと、ビックバンが起きて宇宙が創造されたとき、素粒子などの最小単位が生れ、ぶつかり合いながら、原子を形成していく、その過程と同じようにも感じます。

生命としての意思があったかどうかは分かりませんが、素粒子同士がぶつかり合うとき、新しいものが生まれる、そのとき元々の素粒子は別なものに生まれ変わって、死んでいるともいえます。
(人間も宇宙の果てからみたら、まさか意思があるんてあるように見えないし)



そういう犠牲的な連鎖(宇宙創造の初期衝動=愛)によって、3次元である地球が形成されている。

人間もまた親、先祖の犠牲的な愛(子供を自分自身だと思い育てること、他の生命を食べて生きていること)によって、生かされているということに気がつく=覚醒、悟りでもあるような気がします。





この辺りで失礼します。