仕事、仕える事。
誰に仕えているのか。
従業員であれば、その会社の社長。
じゃあ、その社長が仕えているのは、誰?
社長は、仕事ではない?
うーん。
一昔前なら、その地域の大名、領主に武士、商人、役人、庶民、農民も仕えていた。
大名の上は、幕府、さらに上は、天皇ということになろうか。
征夷大将軍も関白も天皇によって、任命?されるわけだから、そういうことになろう。
そうすると、天皇は誰に?仕えているのか。
神様ですね。
祈りに全てを捧げてくださっております。
つまり、仕事というのは、神様に繋がる、仕えるということが、その本質にあるような気がします。
では、冒頭に戻って、社長は誰に仕えているのか。
株主?お客様?天皇?政府?
現代では、社長自身の思想や哲学、信仰によることになる。
そういう自由が与えられているのが、現代。これを自由と観るのか、崩壊と観るのかは、どういう視点で観るかということによりますが。
江戸時代は、その強制的な仕組みによって神様に自然に仕えるという流れができていた。
それはそれで統制とも言えるし、調和とも言える。
その仕組みを今の人が見たら、自由がないというだろう。商人は商人しかできない。農民は農民しかできないのだから。
今でいうと、社長の子は、社長。従業員の子は従業員。
今は、そんな制度は崩壊=自由化したので、何に仕えるという事が個々に問われている。
それぞれが(内なる)神様に繋がる、自らに仕える。
繋がると仕えるは、同じ言葉だったような気がするな。
それは自己のためというより、自己の世界、宇宙のために仕えるという感じでしょうか。
少なくともエゴである自己のためではないような
…
生きがいを感じられないことの根本は仕える対象が分からないということではないだろうか。
この人、地域、国のために何かしたいと思えることが、仕えたい事、仕事なんだと思う。
その自分以外の何かに働きかけたい。
働きかけたいけど、何か分からない。
本当はそういう対象は、結構これまでの人生の中にヒントがあったりする、あったりするんだけど、エゴが強すぎたり、体が麻痺しているから気づけない人が多い。
それは、家族であったり、友達であったり、地域であったり、もちろん会社であったり、上司であったり、農業であったり、国であったり、なんでもいいのだけれど。
混沌と自由と崩壊は紙一重というか、同時に存在している。
ワンダフルな世界ですね。