今日は一睡もできなかったなぁ笑笑
理由はわかりません。

でも、今のところ眠くはない。







全く関係ないですが、面白いので載せます。


「突っ込まないで、全てを受け入れる」ツッコミ

「ボケているのか!?やりたい放題」のボケ


成立するか、しないかのギリギリなんだけど、面白いことやってるのが多くの人に伝わるその技術と才能が、凄い。


漫才って、日本独自の長く続いた文化の上にある『常識』を何となくみんなが共有しているから、ボケ(常識から外れた言動)に対するツッコミ(みんながわかる常識的な言動)が成り立っていると聞いたことがあります。


欧米は、日本に比べて長く続いた文化がないから、常識が地域、人種によって違う、よって、ボケとツッコミが成り立たないらしい。

だから、下ネタや政治についての漫談が笑いになる。

誰もが分かるように貶めたり、自虐にするということが多いらしい。

分かりやすい「ジョーク」というもの。



ヨーロッパにいくと、また独特の文化がある。
ユーモア、ユーモラスという言葉。

人間関係を滑らかにする潤滑油みたいな感じかな。

イメージ的にはフランスが得意そうな。

とんでもないこと言ってんだけど、思わず笑ってしまうような。

「〇〇君、君には欠点がある、それは私に惚れないことだ。」

これは、ある有名な日本人の言葉ですが、言われた方は、最初欠点があるって言われて、なんだ?ってちょっとムッってなるわけです。でも、私に惚れないことだって言われて、その緊張が解けるわけです。何、可愛いことを大真面目に言ってるんだって笑

私はこういうのが、ユーモアというもののように思います。

私にはとても思いつかない笑

誰も傷つけず笑いを誘うわけです。


あれっ?なんの話してたんだっけ?



ぺこぱの話だ。

ボケとツッコミという枠が外れた漫才は、漫才なのかということです。

でも、その枠は共通認識としての『常識』があったから、成り立っていたわけです。

突っ込まないで笑えるというのは、凄く不思議です。

相方が『受け入れている姿』で皆が笑っている。


このツッコミ役が、本当にツッコミを入れているのは、誰だと思います。ちゃんと漫才になってるんですよ。


禅問答みたいになっちゃったなぁ笑

あくまでも私の考えです。





それは、お客さんの中にある『これまでの常識』です。

みんなボケ役のボケをみて、こんな風にツッコミを入れるんだろうなと『これまで漫才慣れした常識』で想像するわけです。ツッコミ役も途中までその流れにのります。一旦ツッコミかけます。

そうして、そうそうこれこれ!ってみんな思ったところで、「あれっでもそうとも言い切れない。俺が悪いのか…」とツッコミ役がボケを受け入れちゃう。

この時、お客さんの脳内で何が起きているかというと。

みんなが想像した『これまでの常識的なツッコミ』に対して、『確かにこういうボケのような現象の可能性もありえるぞっていうツッコミ』が起きてるんだと思います。

みんなの『常識』が、『多様性の受容』によって打ち砕かれる。

そういうなんだか分からないけど、心地よい体験。

もう、これまでのそういう常識とかっていらないよね〜っていう、無意識の納得感を笑いの快感として、感じているんじゃないかな。


あーでも、これ誰か書いてそうな内容だなぁ



常識の観念が強い一昔前なら、「ツッコミしない=漫才ではない」で終わりだったと思います。
おそらくは、思いついてもそういう先入観でできない。



本当に軽くなってきた時代を象徴している笑いだと感じます。