人ら見た一貫性がない、常識がないという決断を平然としようとすることがある。
一般的にみたら、なんでそんなことするのって
悪いと思ってはいるけど、それでもやるのが、自分なのだとしたら、それはもうどうしようもない。
今日本が良い意味でも悪い意味でもどうなるか分からないということと同じように、人一人の人生どうなるかは、分からない。
分からないのなら、その時々を精一杯の最善、過去の連続や未来への期待に基づかない時間的な一貫性のない選択、我がままでもあり、私の生命を生命のたらしめるための選択をするしかない。
常にそれしかないのだ。
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言葉にすることが好きで、でも言葉にすればするほど、こぼれ落ちる感覚がいやで、途中で書くのが嫌になる。
それでも伝えようとするのが人間。
伝わるという信念を持って、真っ直ぐに伝える他ない。
結果、伝わらないこともある。
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身内からの批判もお叱りも十分に分かる、それは私も考えて分かっていることだから、それでもそれが選べないのは、我慢できないからではない、逃げているのではない、もちろん自分でもそれが正解だと思ってはいない、『分からない』、それが私のとっての人生なのだ。
ハイヤーセルフというものがあるとすれば、何だか分からないがそれはできないと感じるものがそれが示すものであり、それは私の生き方の指針の一条項に抵触するものでもあるのだと思う。
それは、誰かに理解できることではない。
周りはやってみろと言うしかない。
そういう精妙な道にあるのだろう。
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宇宙から地球をのぞいて、私をみてみれば、『何でも大丈夫だよ)^o^(』としか聴こえてこない。
逆に、地球視点で見ると、時間、空間的な一貫性こそが、信頼であり、常識であり、人の道であると言える。理想や宇宙を見上げるということは、時にそういう人間的な一貫性からくる愛や信を裏切るようにもなってしまう。
周りに合わせたり、みんなが大丈夫と言っているというエゴの安心に浸かる。皆の期待と同化するのも悪いわけではないけど、その安心は、愛でなく、恐怖や不安を前提とした麻痺、清濁の濁にまみれた安息、ぬるま湯のように想う、ぬるま湯が悪いわけではない。
裏切っているわけではない、私は私の何か気がついたとき、それを選択せざるを得ない。そして、期待してくれた人から見たら裏切りにも見えるのは致し方ない。
自分の生き方に抵触したら、それは出来ないのだ。
それはできないということを無理にやり進めても、これまで同様ストップがかかるに違いない。
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ラストアライアンス
時空trip
『満ち足りた日々に追いかけてたもの失って
快楽と安息は体中転移して、大切なもの蝕んで
懐かしい感触に埋もれてりゃ、望む(臨む)ものなんてない』
足るを知ることは大事なことで、素晴らしいことだと思う。
その「足る」とは、満ち足りていたことに気づくことでもある。
その「足る」は、周りや過去にある何かで埋めるものではなく、自ら満たすこと、自ら足す(気づくこと)こと。他の何かで埋めることではない。
周りの何かで埋めて仕舞えば、簡単だけど、私は私が分からなくなる。
その生暖かい誰かのいう日常は、また外側の誰かによって簡単に作り替えられてしまう。そしたら、また足りなくなる、埋めなければならなくなる。