目に見えない世界の事柄については、様々な存在が違う視点、世界から語っているため、同じものを危機と観たり、安心と観たり、遊びと観たりしています。
現在は、神様、宇宙人、未来人、地球人、地底人などなど多くの視点と世界が交差しています。
時間軸という概念を外せば、以前から交差していたのでしょうが、今まではただお互いに分からなかったというのが、本当のところでしょう。
どれが良い、悪いということではなく…
自分が目にした全てが、自分の可能性であり、自分の過去であり、未来であり、宇宙であり、世界の情報の様です。
頭で考えると共通点を見出そうとしたり、比較したりしてしまい、『混沌』が生じてきます。
そう、『混沌を深める』のは、エゴのことです。
目に見えない世界は、エゴから見ると『混沌』としています。
宇宙の仕組みは、とてもシンプルなのに、目に見えないものを見ようとするから、複雑になるのです。
混沌なのが当たり前なので、その中で生きることを当たり前と思えば、出会ったとき、ただ単にこれがきたかとなります。
びっくりしても仕方がないのです。
出てきたものにそれはあり得ないと言っても、目の前にあったら、しょうがないでしょう。
そういう意味では、エゴはこれまではそうではなかった見えないもの、常識、世界を信じているとも言えます。その『当たり前』を信じているから、それ以外が姿を現したとき、ビックリするんです。
だったら、私はもっと柔軟に世界を眺めたいなぁと思います。
全ては信じるに値するし、同時に信じるに値しないとも言えます。あとは自分が何を信じるか、何が自分なのかを受け入れる、選択するということでは、ないでしょうか。
『混沌』は、『創造』の概念に似ているように思います。綺麗なものもそうでないものも、破壊も創造も含まれています。
ただ、その綺麗なものが本当に綺麗なのかどうかは、その人ごとに違うということです。
だから、『混沌』なのです。
『混沌』について、あまりよくない状態があるとすれば、自分が『混沌』の中に生きているというこということを自覚なしに、生き続けるということです。
自分は『混沌』の中にいるんだと思えば、『何が幸せか』という問いはすぐに答えが分かります。
外に探し、求める必要がない。
自覚があって、『俯瞰』でき、『安心』を感じたり、『大丈夫』ということが分かります。
『大丈夫』という言葉は、人をゼロポイントに戻す力があります。
マイナスをプラスして、ゼロに近づけることができます。
だから、力が湧いたり、不安が解消されたりするんですね。