ライブハウスに行って、演奏を聴くのが好きです。


今日も思い出して、過去に書いたけどもう一回、今の視点で書いてみます。


このライブハウスという仕組み、遡ると能、歌舞伎に繋がると思います。

もっと遡るとどうだろう?

仏様や神様が祀られて、その下でお経、祝詞の奏上、さらにもう少しだけ下に民がいる、そんな風景に似ていると思いました。


バラード系は、祝詞。

ポップ系は、般若心経。

ロック系は、密教真言。


という感じでしょうか?

怒られるかな笑笑


まあ大丈夫です。



舞台に向かって、演者を見つめるファンは、信者とも揶揄されますよね。

バンドやボーカルを

男であれば、神官。

女であれば、巫女。

の様に、崇めている。


彼らの曲を静かに聴くも良し、一緒に歌うも良し、踊るもよし。

その姿は、同じようにお経や祝詞を奏上している姿そのもの。



一体何を成仏してるんでしょう笑笑


狭い薄暗い地下にあるライブハウスの中で、暴れる姿は、地底の怒りのようでもあり、発散する音、汗は浄化の証し。
皆が同じ服を着て、一体と化し共有する時間に興奮する。

ロックは、現代風護摩焚きだなと思いました。


あの腹にくるバスドラの音、ベースの低音は、大太鼓の鼓動、一定に刻まれるリズムは、瞑想の世界へ、演者独自の世界へ誘う。
この音霊、言霊には、いのちが込められ、涙する。


一体何を成仏しているのでしょうか?(真面目に)






違いでいうと、ボーカル=神官を神と錯覚してしまいがちな点だろうと思います。

祝詞は、神様へ

お経は、仏様へ

向けて、唄います。



ボーカルは、何に誰に向けて歌っているのでしょう。

ファンに向かってだろう?と思いますね。

それも一つ。

では、彼または彼女は、いつもファンを見ているのでしょうか?


歌詞カード見てる!ってのは、なしでお願いします笑笑

本当のプロは見ないと思います。



私の好きなバンドのボーカルは、ファンを?というより違うものを観ているように思います。


視覚的に言うなら、ぼんやりと。

「空」を観ている。または、想像、創造の世界にいると思っています。

これは、生でバンドやっていたことがある人はわかると思いますが、リズムに合わせて演奏して、周りの音聴いて、音がずれないように声を出すという作業を同時に間違えないように、心を込めて歌うってとんでもなく複合的な作業をしてます。

それを精密に(間違えてもいいんですが笑)行うとき、つまり感性と理性(合理性)を同時に作用するとき、人はどうなるか?


ある種の変性意識、瞑想状態にあると感じます。


別の言い方をすると、世界観に浸る。神に近づいている。


お経を読んでいるとき、お坊さんはどんな境地だろうか?

祝詞をよんでいるとき、神主はどんな境地だろうか?

ただただ神と人とのパイプ、つまりは「空」「無」になっているのだと思います。


ライブハウスにおけるボーカルもまた私には、そのように見えてならない。

爛熟したバンドほどその歌詞や演奏に分かりやすい鋭さが消えてゆく、それは決して丸くなったのではなく(そういうバンドもあるが)、優しさが強くなったのだと思います。

優しさが強いというのは、「我」が消えてるということの一つの表現です。

自分のために歌っていたものが、誰かのためになっていく。
謙虚になりますよね。

そういうバンドほど、『演奏をさせてもらっている』というにとに気づいてしまうのだから。


「我」が消えてしまったとき、偶像のないライブハウスにおいて、バンドやそのボーカルを神として崇めてしまうのは、納得できてしまう自分がいます。






雑談

割とオタクよりなので、アイドル声優も好きなんですが、彼女らの歌ってる姿はもまた、巫女なんだなぁと思ってしまいます。

グループで歌っているアイドルもおりますが、一人でやってる人は本当にすごいですよ。

あと、一般のアイドルと比較して声優さんが凄いのが、当然声が良い!そして、本職でない踊りをしながらちゃんと歌ってるということ。

ちゃんと歌ってるというのは、口パクではないということですね。

こちらはライブハウスもありますが、なんとか会館とかなんとかアリーナで歌われる方もいて。

来た人達の怨念を残らず浄化して、元気にしている。
いやもう、頭が下がります。

そりゃ、多少会場が遠かろうが(本州から九州へ)、グッツが高かろうが、たくさん種類があろうが、ビジネスの匂いがしようが、買いますよね!!みんな!(←ここ大事)

お布施大事やで。


わたしにもそんな時代がありましたとさ。



おしまい。






芸術、文化って形は変わっても、その根源的な部分は変わらないなぁというお話でした。