面接難しいなぁ〜

なんか噛み合わんかったなぁ笑笑

なんというのでしょうか。

まあ、縁が無かったということなんですが。


巧妙に情報を出さない面接をされると

この人の思考は、誰かを支配して、同時に誰かに支配されているのだろうなぁと感じます。

騙し騙されの世界と言いますか…


正直にいようとすると完全に合わなくなる


これ自体が、思い込みなのか??

だとしたら、何か原因となる経験が作用しているのか。




あーそうか。

なんか違和感があると思っていたら、面接に来ているのに、『面接官が自分の会社の事業が何たるかを全く話していない』んだ。

『受けに来た応募者の見定め。』という「これまで」の仕事(役割)をこなしているだけなんだ。

そういう会社の世界の中で、ずっと「この業界というより、この会社はそういうものだ」ということをやっているんだ。

良い悪いじゃないよなぁ



まあ、わたしも質問しなかったんですが笑





面接という制度そのものが、相手の世界に合わせるものであるという癖が抜けてないようだ。

正確には、擦り合せるのであるが。

その時代の文化、文明が真っ当に機能していた頃は、事業に志があり、人を雇うということ自体、まさに一期一会という感覚で、多少抜けている人であろうと雇うという風に機能していた。


今は、その文化、文明が持っているそれぞれの技術、思考とそれらの承継が、おのおの分断されているように感じます。

その根本である信じるということの中に、自らの運命において起こることを受け入れるということと同様に、出会う人を受け入れるということが、自然に含まれており、成り立っていた。


今、情報が氾濫し、選べる自由があるが故に「不自由」にあるように思います。

誰もが外側に答えを求めている。

誰もが外側に求めた答えは、誰のものでもない空虚であることも多いだろう。

本物はその中で光り輝くが、「自由」で「分かりやすい」というフィルターを持っていれば、可視光領域が違うかのように、到底引っかかりはしない。見えないだろう。


その空虚が、自分なのだと気づく頃には、歳を取り過ぎているのであれば、とても悲しいことのように思います。





昔、尊敬している先輩に言われた言葉を思い出しました。


「服に自分を合わせるんじゃない、自分に服の方をあわせさせるんだ、その内、服の方が馴染んでくる」


この人は、10年前から本質を分かっている人だった。

そう言った先輩は、いつも利き手に時計をし、この世界を裏側から見ていた。