ここに書かれている思考は、私の世界ですので当然に該当しない方もたくさんいらっしゃいます。


ここ1年ぐらいで神様や宇宙人の概念が、だいぶ変わってきたように思います。

ビックバンから全てが始まったのだとすれば、全ては同じものからできていると言えるので、区別や差別をするのは、ただの人のエゴであって、本質はそういうことではないと言えるでしょう。

「どの神様が…」というのは、「どの宇宙人が…」もう少しわかりやすく言うと「どういう宇宙経験をしたエネルギー体が…」ということですから、その数は八百万ということになるように思います。

私自身はどの神様からメッセージをいただいているのかということが、なかなか知覚できません。

そのことについて、自分でわかったらなぁと思うこともありましたが、私の場合は周りの優秀な方々がメッセッンジャーとして教えてくださるので、それでいいかなとも今は思っています。

私にとっては、もちろん縁のある神様もいらっしゃいますが、恐らくはどの神様からというのは、その方がただ入り口になって、興味があったり、エゴが反応しやすいものだったりする姿、声、名前で現れてくださっているのではないかとも感じるのです。

もちろん、名前がわかるときはその名前に縁があったことやそのような性質が自分にあったことの気づきにもなります。

事前にその神社、仏閣に行っていることも多いです。





「神様から〜」とかって、分離してるの?って感じする人もいるかもしれませんが、そうではありません。


神様が大元は同じで宇宙経験により異なるエネルギー体であるとすれば、どの神様?ってのは「虹色のどこを切り取ってみてみるか」ということの違いであり、今回は「青」で、前回は「赤」、またあるときは「藍」だったりするわけです。

そして、人間として今地球にいる「私」というエネルギーですら、その虹に繋がる一部であり、末端なのです。

人間もまた同じものから生まれているのですから。

末端であるとすると、汚れが溜まっていたりするというのも納得できそうな感じがします笑笑




神様に繋がるのは、同じ虹の一部なので、遠回りに「自分」に繋がることであり、個としての自分のエネルギーに近い存在の大元(虹で言えば、末端より中心のあたり)に繋がることと同義だと思います。

大げさに言ってますが、その繋がりは何にもメッセージがなくともつながってますので、当たり前のことなのです。

これまでは、地球を覆う六道輪廻と言われる膜のようなもので区切られていたように錯覚させられていた魂は、確かに多かったことでしょうし、繋がりにくい時期もあったようです。

そういう時代における繋がる方法が神社仏閣、神棚、仏壇などの存在と祈りだったということです。




本質はもっとシンプルであり、シンプルであるがゆえに今の人間的な思考では、合理性を求めた結果、複雑で混沌としているだけなのです。
人間は善悪で考えるから、それが両立できないため、シンプルな真理を混沌と認識してしまうのです。





また、日本の神々においては、混沌、腐敗物から生まれるものがほとんどで、綺麗なものから生まれているものは稀です。

大昔の人々が、腐敗物に神をみたのかもしれないですし、人間というものの本質が、そういうもの「混沌」としている存在であるということを知っていたのかもしれません。







神様を名乗る方は、たくさんいますね。

聞こえたときは、そこにエゴが入っていないかという視点で、対等な視点をもつことが大事に思います。

それは、現世にてある程度人格形成があった上でスピリチュアルな仕事をする、自らを浄化した上で施術するということが大事なように。

気をつけないとスピリチュアルな世界で、現実的な世界と同じように「エゴ」に振り回されることもあるということです。

まあ、そういう方にお会いすることもまた体験したいだけなので、したければそれはそれで全然いいんですが笑笑


現実世界でも同じですが、その方が本物かどうかは、自らの手痛い失敗や恥ずかしい話を笑い話のように話しているかどうかがポイントだと感じます。

失敗などしないという世界(ドクターX的な)の方もいるかもしれませんが、少なくとも私とは違う世界だなと感じます。

失敗を失敗と認識しない教(哲学)の人もいるので、判断は難しいですね笑笑

私は、起こってしまったら失敗を認識して、必要だったと腑に落として進んでいくタイプというだけです。