尊敬する漫画家の山田玲司先生の週間コラムで、タイトルの内容が書かれていて、自分なりに考えてみました。

人は皆、固有であり、その体験や感じ方は人それぞれです。
だから、効果があるのか?と言われれば、答えは人によるということに尽きるだろう。

幸いにも一般的にいうところの夢を叶えていない私自身は、夢を持っているにもかかわらず進めないという人の気持ちも、夢すらないという人の気持ちもなんとなく分かる側であるように思います。

少なくとも叶えたという記憶はないので、叶えられない側に近いという言い回しです。



でも、そんなことはどうでもよくて、この効果についての質問で重要なのは、「夢を叶えた人」が、相談者にとってどういう位置付けの人なのか、もう少し言ってしまうと、相談者にとって信ずるに値する人なのかということに集約されるように思います。



仮に、私が漫画家を夢として目指して、尊敬する山田先生に相談して、先生の経験、その中での考え、乗り越え方を聞いた上で、自分の作品を見てもらってダメ出しもらって、それでも「君ならできるよ」「諦める必要はない」と言ってもらえたならば、私は漫画家になれると思います。

それは、夢の内容とそれを叶えた人が自分にとって信じるに値する人だからです。

それだけ生きていける。

他の批評家のくだらない評論は、必要ない。

その思想が、間違っていても、間違え続ければいいとさえ思える。


危ない思想だろうか?そんなことはない。

「誰も傷つけていないのならば、成功」なのだ。
(好きなミュージシャンの歌詞引用)






もしも、「君ならできるよ」「諦める必要ない」の言葉に対して、「成功した人の言葉だろ」って思うのなら、もう一度というか何度でもその尊敬する人の作品とその人が観てきた芸術作品を見返してみることが大事なように思います。



「そこまでお前は努力したのか?」

ということよりも

「何を伝えたいか?何を思って書いているのか?」

ということに、注目してほしい。


努力は確かに大事なんですが、自分の熱量のベクトル(思い)を定めるということが、大事なことだとわかってくると思います。

リスクが怖い人(私もそうでしたが)というのは、その思い(今)よりも努力(こらからのコストとしての未来)に意識が向いている。

だから、怖い。怖いと思って、誰かのレール(専門学校)で努力する。
すると、多くは自分の思いではない誰か(学校など)の思いの上で努力(テキストをこなす)してしまう。

その結果、多くは初期衝動としての本当の思いは無くなってしまうように思います。


だから、思いが先。




そうして作品を見返すと、「君ならできるよ」「諦めるな」という言葉をどういう覚悟と希望をもって伝えているのか、分かるようになると思います。


それは、途方も無い勘違いでもいいのです。


作品の中で主人公が言った言葉を、先生は俺の為に言ってくれてると勘違いしていいし、寧ろそれは先生が書いた言葉が私に届いているという事実なのだから、そういうことなんだ!ということ。





「成功した人の言葉だろ」に込められている皮肉は、自らを信じきれていない未来の自分に対する皮肉だ。

成功した人は、そんな皮肉な気持ちすら分かってるよ。味わってるんだから。








大丈夫。

誰一人として、あなたがどういう人間かを決めることはできない。物理的にも意識的にも揺らぎの中にいる。

自分が誰なのかを決めるのは、自分自身。
誰を信じるかも決めるのは、自分自身。