何かが気になることは、誰にでもある。
そこに良い悪いはない。
しかし、その感覚が自分の視点で在るか、相手だと思い込んだ自分の視点で在るか。
という違いはとても大きい。
どちらも自分なのだが、他の人の言い方をすれば、それは分離させた視点、小我の視点などというものでも在る。
どちらも自分の視点で在るのに、自分ではないと思い込んで気づけない自分である状態。
そんな状態のときは、ありもしないものを探そうとする。
本当は自分であるのに、自分でないという視点(他人の視点)になりきって探す行為というのは、幻想の中で本当(自分)を探すようなもので、幻想が前提である限り、本当(自分)には辿り着くことはできない。
解決は、その前提に気づく他ない。
つまり、幻想から抜け出すとは、他人になりきって気づけなかった自分がいたとしても、どこかでそれが自分だと気づくこと。
それに気づくためのサインが、他人の中に自分を探すという行為をしているかどうかというもの。
例えば、他人に意見を求めて、自分がどう見えたか聞くことという行為でいうと、大事なことは、どういう気持ち(意識の状態、在り方)でその質問をしたのかということ。
「俺、さっきヤベェことさっき言ったよなぁ(不安)」という気持ち(意識)で、質問をするか。
「こんなもんだよね、しょうがないね笑(面白い)」って気持ち(意識)で質問するか。
それだけで、相手からの反応、即ち他人になりきった自分の反応は変わる。
前者の意識でいると、何人に聞いてもなかなか答えに辿り着けない。不安から生じた回答で、不安を見せられるから。
「あー、あれは良くないよね」
→「やっぱり、そうか…Bにも聴いてみるか…」
→「やっぱり、そうか…Cにも…」
→…エンドレスストーリー
後者の意識でいると、「そんなもんだよ笑」で、終わり。
こういう会話で面白いのは、「あー、あれは良くないよね」って、言われた後に大体「でも、そんなもんだよ笑」って言葉が続いていることが多い。
何が言いたいかというと、世界は全ての回答を相手を通して、表現しているんだけども、意識によって「あー、あれは良くないよね」をフォーカスするという捉え方をする人、「そんなもんだよね」にフォーカスする捉え方をする人がいるということ。
その意識を在り方と言っているわけだけど、いわゆるディセンションであった時代に、何度も地球で輪廻やら転生やらをしていると、その不安を満足、解決、浄化させることが出来ず、そのような在り方が癖(幻想なんですが)のようにして、こびりついてしまうことがある。
それは、人がディセンションというものを経験したい地球という大きな存在の構成要素ゆえに発生する不安(幻想)の集積として生じる癖と言える。
この癖というものは、各輪廻転生における契約、契り、誓いと表現されるものを含むように思う。
そうして、過去世の物語の中で生じた不安(幻想)が、現世で出るとどうなるか。
ふつうに考えれば、こうするよねってわかっているのに、その行為をしようとすると動けない、または出来ないなどという風に発症することもある。
過去世の癖を思い出せないから、なんだかわからないで、現世で過去世同じことを繰り返す。
これが、輪廻の無間地獄と言われるもの。
でも、現世で過去世をなぞって、その不安をまた経験しているということこそがヒントにもなり得る。
それは、やはり他人の視点になりきって外側に自分を探すという行為をしているか。
本当に自分の軸で選んでいるのか。
問いかける
そして、結果思い切ってやりきる。
結果は問わない。
私のやり方はそれしかない笑
自分の軸かと思っていても、そうではなかったりすることもある。だから、それをいつも問いかけて、思いつくことをやりきるしかない。
追記
ブログで拝見すると、その癖(ブロック、インナーチャイルド、契約、契り、誓い)を何らかのスピリチュアルな方法で解除、浄化できる人がたくさんいますので、どうしても同じことを繰り返してしまう人(転職や恋愛、家族関係)は、そういう人を頼るのもありなのかもしれません。
それすらもハイヤーセルフが、GOを出さないと辿り着けない可能性もありますが…
すぐに解消できなくとも、『癖』なるものの仕組みをある程度理解できていることは糸口になり得ると思います。