独り言のような記事です。

またすぐ復活しますので、ご容赦ください。


あー、なんともならないなぁ…

なんで痒みが出てくるのか?

なんでやる気がでないのか?

なんで何をやるのかわからんのか?

なんで?に囲まれる。


これをしなさい。

こうしてよ。


はい、はい。


有難い言葉ですが

何もしてない身分ですが

体が動かんのですよ。


そちらからみたら、腕はあるし、脳はあるし、足はある。

アトピーも酷そうに見えないかもしれないが。

私ももしかしたらそれを言い訳にしてるのかもしれませんが

動く気力がでないのです。


事故でもあえば理解してくれるのか?とさえ思ってしまうこともある。

わかってもらう必要などないのだが、きついなぁ


こういう感情を眺めつつ、食べたいものをたべる。

すると、それは甘いものだったり、実は体に良くないものだったりするわけだ。

あー、疲れるなぁ、そういうの。←自分に突っ込み!

いつも我慢出来る訳がない。


病気や事故が、修行?

本人からしたらそんなこと思えないですよね。

そんな高尚な気持ちにはなれないよ。

だから、そんな感情を出し切るしかない。


なんで、自分だけ何をやりたいのかということを問いかけにゃならんのだ。

税理士やろうとして、資格取ってこれからのとこでなんでこういうことになるんや。

わけわからんなぁ、本当に。

理由や意味をつけるのは、簡単なことで。

なんで、こんな気持ちを抱えているかと言えば

まだ、自我の欲があるからなんだろう。


まだ、自分は自分のお陰で生きていると傲慢さがあるなぁ。

本当は、生きているだけで有難いことなのに。

本当は、生かされているだけなのに。


この痛みも生かされているから、味わえる。

1人だけだということを思い込めるのも…


本当は、自分が何をやりたいのかということ自体あまり意味がない、というか、大したことない。

望んでそこに向かったとしてもすべて自分の願いの反映であるので、何を選んだとしても、現象は同じ、ツールや演者が違うだけ。


私が何を体験したいのか。

矛盾や混沌の先にあるもの。

アウフヘーベンに近いのかもしれない。

つまり今はまだ無いもの。


それは、私の周りや関わった人がそれぞれが望むより良い世界を生き切ること(体験し尽くすこと)が望みであり、そのための方法をこの世界に顕現したい。

それが私のしたい事業なのでしょう。


事業としてはあまりにも曖昧だなぁ


つまりは、ツール(仕事、理系、文系)はなんでもよく、何を選んだとしても、人と関わるということが大事なようだ。
(仕事で人に関わらないことの方が難しいが。)

メールでもチャットでも会わなくとも人と関わることに変わりはない。






書きたいことが出てきたので

脱線します。メモ書きです。


人間の誕生が、陰中の陽とすれば、人口の数の上では今は陽中の陽。

つまり、陽が極まっている。

すると、陽中の陰への転換。


無限であることとゼロであることの違いは、どこにあるのか、これは「道教」的思想にも似ている。

どちらも捉えられない。
どこからが無限でどこからがゼロなのか。

無限とゼロは繋がっている。

これが「永遠の今」と考えられる所以


陰陽の「陰」は、道教の「道」であり「無」、仏教での「空」に対応しているように思う。

全ての本体への帰結への反転。

拡大から縮小。

膨張から凝縮。

どこへ?

根源へである。


それは人々の心でもあり。

この言い方は飛躍しすぎて、わかりにくいですが、意識が内側へ向かうことも外側へ向かうことも同じなので、人間としては心に向かうことになります。(以下、儒教と道教の考察にて説明)


人の外側としては、人間を人間たらしめるエネルギーの本源である宇宙エネルギーへの反転。

内と外は、同時に反転し根源へ向かっている。


儒教が、外、即ち他人や社会への捉え方から自らを見つめてきたように。先祖、本源を敬い、垂直を見上げるように

道教が、その大元から無為が本体であると心の捉え方を言っていたように。心の根源を深く覗いていたように。


また、物質の最小単位は現在のところ、「ひも」から「膜」ということになっている。

ゼロに向かって、顕微鏡で覗き込んで行った結果、その振動の最小単位は、「膜」。

これは目に見えないたった一つの意志たるエネルギーで、反転する。


ビックバンから発生した膨張としてのエントロピー(乱雑さ)が、極まったとき。

停止するのか?といえば、そうではない。


ビックバンが生じたとき、その物理的なエネルギーは同時にその反対の非物理的なエネルギーを生じている。

なぜなら、ビックバン以前は「無」であり、「空」だから。

物理的エネルギー=エントロピーと対になるエネルギーがあるのは必然。

それは、3次元でないだけで、多次元に存在する。

3次元では、それを虚数、ルート√、iとして、捉えようとしている。

表側(3次元)の裏側(3次元を超える)としての虚数軸のエネルギーが、裏側に張り詰めている。

表側のエントロピーの乱雑さの低下は、宇宙の張り詰めとも捉えられる。このとき、裏側の虚数軸エネルギーも裏側の虚数軸ベクトルへ向かって張り詰めている。

最後の反転のきっかけは、それぞれの人の意志(大いなる神、愛の力、波動、周波数、エネルギー)である。神なるエネルギーの本源は、無であり、空である非物理的、裏側の虚数軸のエネルギーにあるので、これによって、緊張を爆ざすことになる。

両極のエネルギーが、まさに拮抗しているのだろう。

ちょっと説明の仕方が違うかもなぁ

えーと。


人の意志、覚醒と言われているものとは、この両極のエネルギーが同じもの(同じものからしょうじている)と認識すること、そうすることで、大いなる神としてのエネルギーを使うことができるのかもしれない。



エントロピーは常に下がっているので、その分よりイメージ的には硬くなるが、その分より突き抜けたときのエネルギーは大きいのではないか。

これを多くの人が、言っている光のネットワークの構築やアセンションという現象ではないかと思う。

突き抜けるということを物理的なエネルギーの概念で説明すると、物理的エネルギーも非物理的なエネルギー(スピリチュアルなもの)も同じだと認識したとき(それを覚醒という)、エントロピーという物理的な宇宙の膨張という現象という幻想が突き抜けられるのではないだろうか。




あー、これまでの知識を考察していたら、落ち着いてきた( ^ω^ )

失礼しましたm(_ _)m