何もしない。
したくない。
と言葉にするときっと
『何考えているんだ!』
『怠け者!』
と言われることだろう。
そして、その後にその人が思うことは。
『俺はこんなに我慢したのに…』
『ズルイ』
と、では私はそんな可哀想な彼の為に
彼の望むこと(仕事)をしてあげたらよい
のだろうか。
口に出して、こう伝えたなら彼は怒るだろう。
『可哀想とはなんだ』
『みんなやってんだから、やれよ』
『俺のせいにするな』
と、そうすると私は、誰だかわからない『みんな』なるものの為に、そして、少なくとも今怒り狂っている彼の為に、彼のいうことをしてあげればよいのだろうか。
口に出して、さらにこう伝えたなら彼は怒るだろう。
『お前何言っての、それが常識なんだよ』
と、どんどん曖昧になっていく、彼という『自分』から『みんな』、そして、『常識』という概念へ。
でもさ、『みんな』も『常識』も【彼のみんな】で【彼の常識】なんだよね。
つまり、彼は、自分のことを理由に私へ怒りをぶつけているということ。
要約すると
『俺が俺のみんなと俺の常識で苦しいからお前なんとかしろ!』
私「どっちがわがままやねん!!自分でなんとかせい!!」
…
ちゃんちゃん ♪
END
※この物語は、フィクションであり私が実際に言われたことではありません。ただ、このような感情が伝わってくることは、多々あります。
怒りというのは、自らの体を蝕む。
それは、自らを攻撃している自己免疫疾患に似ている。
それは、やはり自分で自分の世界を生きにくくしているという他ない。
怒りの対象とは、ただのキッカケに過ぎない。
その対象に、自分と同じものを観て毛嫌いしているだけ。
その対象は、私という波動?とか空間にて私に認識されたことによって、発生した私のための現象であり、人であれ、ものであれ、きっかけを現してくれたに過ぎない。
それぞれ固有に、あなたの場合はこーしないと分からないから、こーいうこと起こってんのってことらしいが、まあなかなか受け入れがたい笑笑
また、宇宙からしたら、そうしないと召されてしまうということで、大変な目にあう人もいるようです。
しかしながら、このように誰かの行いを観ないと自分の中にそのような部分があることに気づけないのだから、人間は厄介でしかたがない。
しかも、多くは自分のことだと思えないのだから、自分自身含め本当に大変なことです笑笑
…
自分が自分を許せるようになると、周りが自分に対して穏やかになる。
そんな当たり前のことで、分かりやすいことなのに。
自分のことはなかなか分からない。
逆にいうと、何も起こらないということは、自分が落ち着いているということでもある。
しかし、しかし、そうやって分かったつもりになっている時が一番危ない。
乗り越えたと思ったのにーとかよく思う笑笑
乗り越えたのは、事実で。
確認として、都度現象は起きてくれるようです。
ただの覚書です。
以下、追記
私側の理由について書き忘れてしまいました。
私がこうした人と会ってしまう原因は、もちろん私がそういう面があるからです。
そういう面とは、いわゆる『常識』なるものから外れてしまうという不安、怖れですね。
『常識』に対する不安と怖れを持っている私の波長、波動と『常識』による苦痛、不満を持っている相手の波長、波動が、共鳴するということが起きてます。
この現象の大きさによって、自分の不安や恐怖が癒されたのか、許せたのかわかります。
できる限り、謙虚でありたいものです。
謙虚の虚は、心を空っぽにすることだそうです。
素直とかもにているように感じます。
相手の言う通りにするのではなく、相手の言うことを受け止め、自分の感情とその理由を眺めるということ。そのために、一旦空っぽにするということでないでしょうか。
そんな風に思います。