あんまり私が書いてしまうよりは、読んで欲しいなぁという気持ちの方が強いのですが。
あと、3点だけ。
届けたいと勝手に思いました。
①罪とは
罪とは、「つみ」=「包(つ)身」。
自分の存在を覆うもの、隠すもの。
これは、身体そのもののことではなく、心の部分も含めてです。
私の解釈ですが、神なる自分を偽る嘘は、その嘘によって自分の内なる光を覆ってしまうということであるように感じます。
昔(漢字が入ってくる前)の日本語、大和言葉なるものは、「あ」一つにも意味があり、その言葉は「文字」よりも「音」の響きを大事にしてきた。
大昔の神話、技術が、口伝とされているものが多いが、なぜ、口伝なのか。
それは、文字に書き起こされて、漢字で表現された時、その本質はこぼれ落ちているのではないかと思われます。
②穢れとは
穢れ=「けがれ」
はて、なんだと思いますか?
「気枯れ」
気が枯れるということのようです。
罪は、覆われること。
穢れは、消費、奪われるというイメージですかね。
③感謝
何かしてもらった対価としてするのではなく、今いかなることがあろうと生かされているということに感謝するということ。
先に感謝があるという点では、その行為は、結果予祝と言われているものにも近いですが、エゴから生じる現世利益的なことを対象とするのではなく、あえて誤解のある言い方をすると、今生かされているという「対価」に感謝するということです。
そうするとどうなるか。
葉室先生は、下の例えで説明されています。
テレビの電波と受信機の関係で、受信機は電波を受信するために微量の電波を出しているそうです。
人間において、感謝とはこの微量の電波を発信することのようです。
私の解釈ですが、宇宙にあるエネルギー、神様のエネルギー、恩恵、光明というものは、常にある。
それを受け取るか受け取らないかは、人間自身で、そのエネルギーを受け取ろうとする行為が、今生かされているということに対する感謝なのだと思います。
本当は当たり前のことなんですが、当たり前すぎて、身体が主になっているから、分かりにくいですが。
しかしながら、人間の肉体は多くの菌によって機能していることを考えたりすると、常に自分でないものに頼って生きてるんですよね。
そういうところの事実を知識と知っていくということも自分を知るということであり、感謝とは何なんか体感できるきっかけになるように思います。