昨日の夜は眠れなかった。
夜更けにコーヒーを飲みすぎたせいか、それでもってまずいと思って牛乳を足しすぎて、消化不良を起こしたせいか。
午前2時、ここ最近の中で最も難関である書物に取り組んだ。
『情熱の哲学』(佐々木孝 著)
スペインの哲学者であり、言語学者であり、詩人であるミゲル・デ・ウノムーノの生涯と佐々木さんの解釈が書かれている。
とにかく難しい。
理性的に解釈しようものなら、他の哲学者を学び、その抽象的概念とそれぞれの残した詩とも取れる言葉の理解にはまってしまい、膨大な時間を使うことになる。
なので、当然、その辺りを放棄して、私は今の私の知識と経験と感覚で読み進める。
読めば読むほどにわからないが、その混沌さが伝わってくる、そして、その混沌に苦悩し生きるウノムーノの姿が見えてくる。
とにかく、スペイン的「パッション」を体現しているように感じた。
本書でも『パッション』について、解説されているが、『パッション』には、情熱という意味だけでなく、受難という意味もある。
『パッション』という映画を思い浮かべる方もいることでしょう。
イエス・キリストの映画ですね。
まさに、キリストの受難をテーマにした作品でした。
ウノムーノは、自らの体験と信仰と思想の変遷において、常に受難を引き受けた。
そうして独自の哲学を作り上げている。
本書を紹介したのは、ウノムーノや佐々木さんのその哲学やその時々の言葉が今を生きる私たちにも響く言葉だったからです。
『存在することは、存在することを望むこと。
彼ならびに神だけがそれを知っている。』
『私は、私であると同時に他の全てでない限り、しかも永遠にそうでない限り、存在しないに等しい。』
また、彼はセルバンテスの『ドン・キホーテ』の解説をしている。
ミゲルとは、大天使ミカエルのことである。
ウノムーノは、ミゲル・デ・ウノムーノ、
セルバンテスもまた、ミゲル・デ・セルバンテス
2人のミゲルは、大天使ミカエルを名を持って、何を体現しようとしたのか、とても興味深いもののように感じます。
この2人の奇妙な巡り合わせと彼らの言葉や物語が今もなお、現存しているということは、多くの人に何かを伝える何かがあるからだろうと思う。
もう少し読み進めたいとおもう。