目に見えない存在に気づいた男が、それでも現実な社会で生きるにはどうしたら良いのだろう。
目に見えない存在や宇宙、神様、愛について、何かを掴み始めていくにつれて、これまでの社会というか現実からズレていくことに気がつく。
相変わらず、自分が何をしたいと思い、ここにいるのか取り戻せないまま。
でも、肉体としての活動、食事や睡眠を維持することは最低限生きるために必要で。
でもでも、その状態はまだ逼迫しているわけではなく、何もなくなりそうになっても、なんとかなることも分かってはいるのだけれども。
何かが見出せない。
まさに、『凪』の状態。
こないだも書きましたが、この疑問は、『何か動かなきゃ』という、肉体としての動物としての本能とでも言いますか、エゴとも言われるものから、示唆されるもので、肉体でないところの自分は『まあ、大丈夫だよ笑笑』なんです。
『男』とか、『社会を生きる』ということ自体が、『他者の意識と価値観』により、定義された言葉で、いわゆる日本的(本物でない)民主主義的思考(幻想の中の幻想)によるものなので、分かってるんですが。
それらの概念とか、ルールの中で遊んでみる、体験している、足掻いているという行動として、『就職活動をしてみたりする』
そうすると…
そうじゃないんだよな〜と突き返される。
相手の世界にギリギリのとこで合わせようと試みるんですが、書類が突き返されるんですよね笑笑
人手不足のはずなのになぁ
とりあえず事務所にお越しくださいとか書いてあるだけどなぁ
おかしいよねー
正直、仕事の内容、ツール、情報そのものに、あんまり重要性というか、本質的なものを感じなくなっているんでね。
相手と波長というか、縁が合うわけがない。
その業界や法律やツールが、どんなに新しくなろうが、増えてこようが、本質はそれを作った人やそれらを扱う人によるので、いかなる理由があろうが私にとっての本質は、『人』にあると思っています。
…
人の感情の中で、特に厄介なもの、認めたくないものが、「焦り」と「執着」です。
この部分をみていかないと、何をやっても『焦り』と『執着』の人生、事業になってしまいます。
何かが足りない感覚→焦り
何かが失われる感覚→執着
『満たされていない』というところから来ているように思います。
では、向上心ってのはどうか?
これは、不足感から執着なのではないかと思われますが、枯渇感ではあるけども執着ではありません。
何が違うか。
向上心は、満たされた状態から理想に向かう時のそこに到達できていないという枯渇感から生じる感情。
執着は、本当は満たされていないことなどないのですが、他人の世界、価値観から見た時、満たされていないと感じる不足感による感情。
自分が本来やってみたいもの以外のもの(分かりやすいもの、お金や資格、学歴)へ依存にりより伴う感情である場合が多いように感じます。
本当にやりたいことをしているときは、没頭しているので、「空」、いわゆる瞑想状態に近く、満たされている状態であるようにおもいます。
執着は、一見自分のこだわりがあるがゆえに、捨てられないと考えてしまうのですが、実はその多くは他者(思い込み)のこだわりに依存しているだけ、ラクな方に理由をつけて、正当化しているんですね。
私自身まさにこれでした。
税理士試験を受けている、私は働きながら勉強している、価値のあることをしていると正当化して、本当に大事なこと、即ち、したいことをしてこなかったのです。
では、『満たされていない』ように見える今の自分をどうしたら、『満たされている』と感じられる様になれるのか。
究極的にそれぞれが体験することでしか、掴むことはできません。
私が如何に言葉にしても私の体験の中で掴んだものしか、言葉にできないのです。
もちろん、当たり前のようにできる人もいます。
そういう人を私達は、天才と読んだりしていますね。
そのための方法としては、多くの人は『感謝』することを挙げていますが。
(本質は、気づくから感謝するのですが)
意識的に感謝するところを見つけるようとする→内観することになり、気づくことができるので、多くの方がこれを挙げているのでしょう。
感謝をするところを見つけようとすることで、現象と自らとの接点を意識的に作り、あらゆる出来事の向こう側に、己を観ることになります。
鏡です。
結果、その出来事によって、己を知るための現象を見させていただいているその機会をもらえたことに感謝をするのです。
許せないという感情について、その解釈を書こうと思ったのですが、それはやはり個々に任されていることで、今許せない人にとってはどうにもならないことであるように思いました。
難しいですね。