「何を待っていれば良いのか?」

この言葉の裏側には、現状を何とかしたいという欲求があります。

長らく何もやることがないと何かをしようとする自分がいることに気がつきました。

その作用というのは、周りの動いている人を見て、そこに自分との『違い』を感じているからです。

『違い』とは、周りの人が日々行動していること、新たな思考をしていることが、動いていない自分と比べて、『なぜか良いと思ってしまっている』概念的な、比較による『なぜか自分を下に見る落差』なのです。

では、

「本当に周りの動いて、思考している人が良いのか、良いことなのか?」


必ずしもそうとは言えないと思います。


なぜなら、周りが動いていると思う現象の多くは『仕事』というものであり、自分自身もそうした行動して、思考して生きていた結果、『仕事』を辞めるという事態になったからです。

少なくともその時の『仕事』という行動は、その時の自分の心身には合わなかったということは、実体験として分かっています。


ではなぜ、その経験をしているのにも関わらず、もう一度行動し、思考しようと思うのか?


それは、周りの人達は『世間一般の義務を果たしている』という価値観に基づく焦りがあるからです。
でも、これは即ち、これまでの人生で『刷り込まれた常識』であり、他者から与えられた『価値観』で、自分の『価値観』ではない、その行動は『している』のではなく、『させられている』、その思考は『している』のではなく、『させられている』人がほとんどで、どう考えても何処かで限界を迎えるということも分かっています。


つまり、私は『仕事』というところにフォーカスして、行動、思考していない焦りを感じてる。
そして、さらに私は、本当は相手がさせられていることが殆どだと分かっているのに、相手の行動と思考の『目に見える表面だけを見て、それがあたかも自分が心から望んで取り組んでいる行動』であるように捉え、羨ましいとさえ、感じていたのです。
慣れ親しんだものへの安心感を得たいというのもありました。


本当の現実的な生活を観てみれば、一年ぐらいなにもしなくとも生きられるだけの貯蓄はあるし、他者と比べて自らの状況を誰かに理解してもらう必要もないし、『衣食住』という行動とこうして『内観する』という思考、表面的な自分を潜在的な自分から観測をしています。


即ち、そういう私固有の日々を生きています。







私に良くあるメッセージで


「未知なるものに飛び込め」→「愛する」

「己を信じろ」


というものがあります。

言葉足りませんよね笑笑


ここまで記事を書きながら改めて腑に落ちました。

これらのメッセージの本質は、行動や思考する事であるのですが、それは表面的な現象のための行動ではなく、内側へのダイブ→『未知なるもの、愛への内観』のための行動と思考なのだと思います。


さらに、その未知なるもの、自らの愛、自らの神への内観に至るためには、『信じる』→『自らを信じる』ということを同時に、両輪にして進むという事であるように思います。


『自らへの内観』と『自らを信じる事』は、どちらが先ということは厳密にはありません。


自らに起きた現象に対して、『自らへの内観』、即ち自らにも原因があるとするいう考え、思考することができれば、それも『自らを信じる』という未知に一歩踏み出したと言えると思います。

自らにも原因があるという考えは、自らに責任があるという思考から、発生します。

自らに生じた現象が、誰でもない自分に関して起きているのに本当に責任がないと言いきれますか?

そこに存在して現象化していることは、自分にも責任があるのです。
だって、他の誰でもない『私』の目の前で現象として起きているのですから、『そこ存在していること』そのものが、原因だと思わずには入られません。

これは、私が子供の頃からずっと感じていたことでした。


どちらがどれだけ悪いということを比べる必要は全くないですし、全て自分が悪いと必要以上に受ける必要もありません。

ただ、その現象がいま起きたことの理由と責任は今自分がここにいて当事者になったこと、一つだけでも小さな小さな責任と理由足り得えます。

その中で、少なくとも自分がこうしなければ、こうならなかったという部分を思考することが、責任を持つということです。

そして、なぜそうしてしまったのか、そこには必ず『感情』が動いています。

めんどくない、やりたくない、いらいらしたなどの『感情』をきっかけとし『行動』し、場合によってはその場のエネルギーが増幅させて、『間が差す』ということが起きていると考えられます。

この例えは、ネガティブなことを題材にしていますが、内観することで得られることは、一般的に、現象的にネガティブなことのほうが圧倒的に多くなります。

理由は、簡単です。
ポジティブなことは、良いことだから自分がこうしたからと責任主体としての認識、受容しやすいのと、日本人は、この時神様や自然、他者への感謝ということが良い意味で刷り込まれているので、これも自らの内側、内なる神への感謝を自動的にできます。一方、ネガティブなことは事が大きなものであればあるほど、自分は関係ないと思いたいので、なかなか大変なのです。

だからこそ、ネガティブな現象を乗り越えるには、『意識的に』内観し、感情や理由を受容することが重要なので、必然的に得られることというか、思い出すこと、自分を知るが多くなります。


現象やその時に感じた感情に向き合うのって疲れますよね笑笑

「乗り越える」という、表面的な自分が「やりたくないよう」「なんでそんなめんどくさいことするんだよ」「意味わかんないよ。」「そんなことより仕事しろよ」って感じ、違う思考を入れてくるもんだから、大変です。

でも、その現象に会っているは自分なのですから、結果、自分でその現象を起こしていると言えますね。
同じようなことが何回かあるのなら尚更。

だから、どっかで考えないとずっとそのままなんですよ

無間地獄です。

今じゃなくてもいいんです。でも、今やったほうがあとあと楽です。


あと、これもよく言われることですが、良いことも自ら起こしているので、運命は変えられます。

その時大事なのは、感情を整理していることですね。
また、感情であってもいつも嬉しい、楽しい、緩やかななのはとても良いと思います。


おそらく統合されている方が、このように言っているのは、それだけの内観と自分を大切に理解して分かろうとしてきたから、こそのいつも楽しそうな雰囲気なんだと思います。


今は地球の波動が上がっているので、内観して受容して浄化しやすいようです。




昨日やってみたオリジナル内観法ですが、一応書いておきます。

多くの方が言っているように、瞑想が良いと思います。

瞑想と言っても、別に吐いて吸うという呼吸を意識して、15分程度やるというだけです。

あとは、環境とイメージですね。


静かな場所、時には自然の上で。

アロマとか音楽かけてもいいですね。


イメージは、やっぱり光とか神様でも良いと思います。
好きな神様の名前を何度か読んでみると来てくれます、そういうイメージでいいんです。
私も見えません笑笑

いるということでやるんですね。

その状態で、なんでこんな感情をしたのかなとか、そういう感情もあるよねーとか話しながら、光の方へ投げる、神様にお返しする感じなことをやってます。





あとは、これは過去世なルーツにもよるかもしれませんが。

ガヤトリーマントラがおススメです。






最初覚えられないって思うかもしれませんが、

以外も1日あれば覚えられます。

覚えると結構、頭から離れない。

気持ちよくも感じます。

この辺りの感覚は、私自身の過去世でヒマラヤにいたということが関係しているのかもしれませんが。

空間と自分の中に響いていく感じがします。


最強のマントラと言われています。

カルマを落とすマントラだそうです。