孤独と孤高は、紙一重。

私は、孤独と孤高を次のように定義する。

孤独は、他者との比較の中で生まれ、分かり合えないという葛藤の中にある状態。
また、他者の宇宙と自分の宇宙のせめぎ合いにおいて、50%超他者の宇宙に飲まれている状態とも言える。


孤高は、その孤独の先にすべてが繋がっていることを自覚し、自分だけの役割を創造している状態。
また、他者の宇宙と自分の宇宙のせめぎ合いにおいて、50%超自分の宇宙の創造により押し返している状態とも言える。


二元論で表現される三次元の世界で、生活するにおいては、常に他人の宇宙(相手が思う私らきしもの)と私の宇宙(私が思う本来の私)のせめぎ合いが生じる。

ハイヤーセルフから切り離されている(ように無意識に思い込んでいる)「私」においては、私の宇宙を想像することは、普通のことではなく、難しいと考えてしまう。むしろ、最初は私の宇宙の創造ってなんだ!?って感じで、私は私を生きてるよ、当たり前やん!ってとこからだから、本当に大変。
でも、多くの人は、私は私を生きていると言いながら、他人の宇宙の私を生きている。

もしかしたら、100%他人の宇宙の私を生きていると逆に、葛藤はなく、「孤独」とは感じないのかもしれない。


しかしながら、ある時オーラが見えたり、他人の感情が妙に感じられるようになったり、ツインソウルに会ったり、預言者にあったり、事故にあったり、病気になったり、何らかの理由によって死にそうなったりしたりして、本来の私の宇宙に背中を突かれることになる。

そこから、本格的な他人の宇宙と私の宇宙のせめぎ合いが始まる。


背を突かれていた時期は、そんなことないよ、気のせいだよって他人の宇宙の価値観で判断していた。
だから、他人の宇宙に合わせて、むしろ安心していた。
でも、耳鳴りがして、夢をみて、自分の過去世を語る人と出会い始める、時々胸が痛くなり、記憶が欠落して、シンクロや既視感が増える。

その状態が何なのか、調べざるを得なくなる。
そうしてわかってくることは、同じような状況の人が他にもいる、そして、それは目に見えない世界が関係しているようだということが分かる。

調べていくと私がかつて何者だったのか、分かってくる。
宇宙、ヨーロッパ、中東、アジア、日本と至るところにいた…  らしい。

いよいよ、何が私かわからなってくる。
でも、同時に「今は、今の私を生きる」ために存在していることも段々と分かってくる。


ここまでくると、私の宇宙と他人の宇宙のせめぎ合いは、50:50の辺りをゆらゆらしてくる。

ゆらゆらというと表現が柔らかいが、目に見えない世界での変化がズドンとくると、その反動が現実世界でも起こる、そんなこともある。そして、波はいずれ均衡を保つ。

多くの人が突き抜けろ!と言っているのは、この50:50を超えてゆけということ。私の言葉で言うと「孤独」を超えてゆけ!ということになる。


この50:50での「孤独」がなかなかに苦しい。

他人の宇宙としての価値観は、身近な人を通してやってくる。私は、これがそういう現象なのだとわかっていて、相手もいずれは私と同じ経験をする(無自覚にもう体験し始めているのだが)ことも分かっている、分かっているのだが、どうしようもなく自分のことをうまく伝えられないし、伝わらない。

これが「孤独」なのだ。

私にとっての「孤独」は、近くにいないことではない、距離は関係ないのだ。宇宙に居ようが、楽しくいてくれるなら、それでいいとさえ思える。

近くにいて真実を伝えられるのに、その近くにいる人のほとんどに伝わらないということが、「孤独」なのだ。分かってもらおうということ、自体がエゴなのだが、もう一人の自分でもある相手に早く起きて欲しいという時間軸のある三次元的な焦りがあるのでしょう。


もうしばらくしたら、私はこの50:50の壁を突破すると思う。ハイヤーセルフの自分も感じるようになってきたからだ。視点が多次元になってきている。
この「孤独」すら、上から眺める「孤高」になる。


少しでもこのいっときの葛藤を楽しみ、味わいたいと思う。


今日こうして言葉に落とせたということは、そう長くないいうこと。


どなたかの参考になればと思います。




以下、追記

私の宇宙と他人の宇宙のせめぎ合いは、ロケットに乗って宇宙へ向かう際の重力圏の通過に似ている。

ちょっとでも何かが剥がれれば、燃え尽きる。

自分一人でやり遂げる、孤独な運転。

そこに馴れ合いなど意味がない。

燃料は片道だけで十分。

私の宇宙だけが頼りだ。

私の中にはいつも

ラストアライアンスの「無重力 one way shuttle」

が流れている。