「感じる」ということが大事になってきているようです。

巷でよく言われているマインドフルネスも霊的な統合も同じことを言っていると感じます。



「感じる」ということです。



何をというと、「今」となります。




自然にできている人からすると、そんなの当たり前じゃんってなるんですけど…

これがなかなかできない人もいます。


なぜか?

まず、「今」を「感じる」ということは、どういうことかというと、それは「直感」ということです。

この「直感」は、実は大いなる存在、じぶんからのメッセージなので、本質を捉えた「直観」でもあるのですのですが、いわゆる「合理的」な現実世界で生きてきた人は、このような現象があったとき、必ず何でそう感じるのか?ということをこれまでの過去の経験や手法を用いて探してしまいます。

そうして時間が経つ内に「直感」に合理性を見つけられず、いつのまにか何を感じたのか忘れてしまうのです。

この時、すでに「今」に集中せず、
「過去」にあることから合理性を探しているのですから当然ですね。

この合理性が、非常に厄介で一瞬にして正誤のジャッチをしてしまっています。不合理なものの理解の可能性を一瞬で消してしまうんです。
現代文明本当に恐ろしい!




それでは、ここから「感じる」ことが苦手な人のための合理的な「感じる」ための方法です。

大きく三つ「認識」「意識」「継続」が大事だと考えます。


まず「認識」です。
なぜ、自分は感じることができないのかを認識します。
その理由は上の文章でも書きました。
「感じた」ことを合理的に思考し、合理的な範囲でジャッジしているからです。なので、まずそうしてしまっていたことを「認識」します。そして、それを「許し」「受け入れる」ことです。

「許し」「受け入れる」ということについて、私もなかなかどうすればいいのか、分からなかったのですが、これらは、うまくいっていない自分の状態を合理的に「認識」すること、そして「感謝」して「手放す」こと、そして、ここが重要なのですが、これらを「言葉」や「文字」にしてカタチにすることです。

因みに、私の場合は、私のうまくできていないことをこうして、「言葉」にしてブログに書き「認識」して、そういう捉え方があることを表明して「受け入れる」という作業をしています。

基本的には誰かに説明できるようにその現象を「認識」できていれば、自分の中で「許し」ていると考えられます。

恋愛の失敗話を面白おかしくネタにできるかどうかということに似ています。
「恥ずかしい」という気持ちがあると、人に言えないように、そこには未練、未処理な感情、自分を引き止めるような波動が残っているので、失敗した自分を何だか分からないけど「許し」ていないんですね。

あと、そのあとカタチするというのは、本当に大事です。
その方法は、紙に書いて破るのもオーケーです。言葉で宣言するのも有効です。
3次元では、カタチあるもののチカラが強いのです。


次に、「意識」することです。
何を意識するかというと、「今」を「感じた」時の『一見不合理で関連性のない想像』をです。

言葉では分かりにくいので、実際の私の事例でお話しします。

[ある人にあった時、胸が熱くなりましたその瞬間、実家の父を想像しました。]

他人に会ったときに、胸が熱くなることと父を思い浮かべることは、顔が似てれば合理性はありますが、全く似ていない場合には、合理性はないので、父の顔のことはジャッジの中で一瞬で消されてしまいます。すると胸が熱くなったことについてからのみ、その人についてその理由を考えることになります。

その人+胸の鼓動+父の顔までが、本来のメッセージだったのに、合理的な判断が癖になっていると、その人+胸の鼓動だけになってしまい、何を感じたのか分からないということになってしまうのです。

ですから、大事だことは、不合理な「想像」「イメージ」も含めて「感じる」ということを「意識」することです。


正解をいうと、私がその人に会ったとき、胸が熱くなり、父の顔を思い出したの、父が昔傷つけられた人に似ていたその感情の記憶が反応したのです。そして、もっとまも大事なのは、そのような人を苦手とする自分も昔からいたことを認識することです。これが自分にとっての気づきです。


最初からここまで理由がわかる人は、ほとんどいません。

でも、分からなくても対処法はあります。


父の顔を思い出して、手を熱くなった胸に手をおいて、「意識」を集中することです。
「父さん、何かあったの?」と問いかけても良いかもしれません。

それだけで良いのです。

今回の件では、外側の現象は父からのメッセージであり、それは自分の中にも同じ癖があったとうことも含めて「認識」することが「気づき」なのですが、これは、この父へ問いかけるという作業によって、さらなのメッセージを受け取ることができ、気づくことができました。


「許し」のついての話が長くなってしまいましたが、大事なことは、その時「感じた」ことを不合理なことも含めて「感じる」ということを「意識」することです。

これを多くの人は、ジャッジするな!と言っているのです。
皆さん言葉が、足りないよ…
スピリチュアルな人は、皆さん感覚で理解されているので、私からするとどうしても言葉が足りないように感じます。

私も意味不明なこということが多いのでお互い様ですが、勝手に愚痴らせてください笑


最後、「継続」です。
合理性が癖な人は、合理的な方法で認識してしまっていたこととその理由を改めて「認識」して、不合理なことも含めて認識することを「意識」することを「継続」するということです。


あー何とか言葉に落とせたーー( ´Д`)y━・~~

ありがとうございました。