思い出し用に自分のことを書いてみたいと思います。


私は、農民の息子の父と漁師の娘の母から生まれました。
生まれ育った場所は、静岡県の海と山の間に僅かにある平野です。
電車もなく、車が必須。
子供の頃は、自転車移動が当たり前。
信号機もコンビニも数えるほどしかありません。というか信号機は、国道との交差点にしか無かったと思います。今もそうか笑

生まれた時は、冬の寒い頃、へその緒を首に巻いて、逆子だったと聞いています。本当に危なかった…。最近になって生まれた時間が8時8分だったということを母子手帳から知りました。どこまでも「8」に纏わる生まれのようです。


自我が芽生える前の私は、母によれば手のかからない子だったそうです。

私もあんまり泣きわめいたりして、物を欲しがったり、あれがしたい、これがしたいと言った記憶はありません。
元々物欲がなかったんだとと思います。

小遣いが少ないことに不満を持ったこともなく、ある中でやりくりし、それでもたまっていきました。ちなみに小学生で週100円程度だったと思います。
毎週ジャンプ買っている人が凄いと思っていました。

保育園の時、遊具で遊んで怪我をしました。
高いところから後ろ向きで落ちたそうです。落ちた後痛くて、先生の方に泣きながら歩いて行ったのをなんとなく覚えてます。顔の一部が切れていました。
多分頭打ってますね。

園にお泊まりするというイベントでは、夜の肝試しで、本物を見てしまったという記憶があります。
子供用のお化けなので、普通分かりやすいかところに配置されていますし、分かりやすい動きをしてくれるのですが、今考えてもなんでこんなとこにってところに、赤い着物の人がいて、とても印象に残っています。それが1番怖かったです。非常に怖がりでした。

アトピーもこの頃から当たり前のようにあり、母は都市まで車と電車で通ってくれていました。本当に大変だったと思います。
あるとき、水疱瘡も発症して、アトピーで掻いてしまって、広がって。子供病院まで行くんですが、水疱瘡は芯をピンセットで抜いていくので、ほんと痛くて大暴れ、薬をひっくり返したりして、病院の壁には暴れて付いた薬の跡が暫く残っていました。

注射も嫌いでしたね。
建物の外まで走って逃げ回っていました。

こうして書いてみると、怖いこととか痛いことってのは、やっぱり記憶に残りやすいんでね。

楽しいこともあったはずなんですが笑


この頃は、周りの子の元気さというか無邪気さにも結構ビビっていたというか、なんでこんな強いだとか、そうかと思えばすぐに泣くし、元気だなと思ってました。

熱が出やすく、危ないということで、扁桃腺も切りました。一月ぐらい休んだのかな?初めて手術し終わった後というのを体験して、痰ばかりが喉に詰まり、声が出ず痛くて嫌でした。病院食も不味くて、母が持ってきてくれるおにぎりを食べてましたね。この頃から病院独特な匂いが苦手になっていったような気がします。
入院中は、暇だったのでお見舞いに持ってきてくれるパズルをひたすら作っていました。これは今でも家に飾ってあります。
ディズニー系が好きでしたね。
この入院ですごく痩せました。

この頃好きだったことは、ロボットの絵を書いたり、ダンボールや牛乳パックで工作することでした。何かを形にすることが好きだったんですね。
牛乳パックの舟とかも作って、池に浮かべたりしました。

保育園に通っていた当時、近所の友達にやたら意地悪をされて、いつも喧嘩しながら家まで帰りました。ずっと鈍臭かったんですね笑


夏になると裏の山にカブトムシを取りに連れていってもらいました。
桃の木にたくさんいるんです。

庭にはバッタもたくさんいました。
今は本当に見なくなりました。
トンボも少なくなりました。

1日がとても長く、毎日のことしか考えていませんでした。