連チャン投稿です。

これから勉強してみたいなぁと思っていることについてです。

数字について、改めて理解を深めてみたいと思っています。


数字の成り立ちって皆さんご存知ですか?

私も詳しくは知りませんが…

今は当たり前の様に使っていますけど、怖いんですよ〜笑(話半分で聞いてください)


昔、サイモン・シン氏が書いた「フェルマーの最終定理」という本を読みました。同じ頃、中学の同級生が「異端数0」という本を読んでいて、数字について議論をして、その時のことを思い出しましての投稿です。


どちらも共通するのは、数字に全ての人生を捧げた人達がいるという事実、そして、それは信仰にも似ているということです。


「フェルマーの最終定理」は、フェルマーさんが仮定した定理を証明するためにたくさんの数学者が挑んで、証明していくというドキュメンタリー要素と数字というものが昔はどのように扱われていたかということが、書かれています。

「異端数0」は読んではないですが、タイトル通りに0が如何に異端であったかということ、宗教にも似た信仰があったことうことが描かれているようです。(読んでないのに適当な説明ですみません、記憶を辿り辿り書いてます)



もう少し簡単な話にすると、子供の頃足し算を勉強したとき、なんで1➕1=2なんだって思いませんでしたか?
3でもいーじゃんって思ったりしませんでしたか?
りんごが二つあっても、食べるために片方切ったら、3になるよーとか、子供は前提とか関係ないですから笑


学校で習う時は、全ての前提や歴史は蓋がされ最終結果や誰かが見つけた大多数が納得できうる理論が常識として、詰め込まれます。

これが成人ぐらいまで永遠に繰り返されるんですよね。あー辛い!辛かったー!
高校の共有結合、イオン結合あんなに表現違うのに、大学いっても結局理論をツギハギして、説明するしかないんだよなぁー


置いといて



1が、なぜ1なのか。

これがね、違うってなったら大問題なんですよ。今の社会では、全てが壊れてしまいます。


でも、1がなぜ1なのか。
これ考えてみると、私がなぜ私なのかみたいな禅問答に突入してしまいますね


一つの解として、今は、多くの人がそれを1して認めて、信頼しているから1なんです。信じる、信じないを超えて、当たり前になっている。
これがどれほどのパワーか。

1という宗教をみんなで信仰しているから存在している。

そこには、多くの人が求める1というもの能力が付加されます。

1…唯一とか、始まりとか、孤独とか、頂点とか。

さらに1に纏わる歴史が乗っかってきます。1を、用いた人や神がどうなったとか、どんな役割だったとか。

そんだけ込められたら現実に力を持つますよね。


1に力がないと思うことも自由意志ですが、時計は目の前にありますし、スマホのシステムも全て1と0の羅列ですし、暗号は、素数で暗号化されてますし、当たり前にその恩恵を享受してます。これは事実です。


あと、数学者の研究の中で、自然の中にある物質についての関連も明らかにされつつあるようです。素数であるとか、完全数であるとか。今回はこの辺の説明は省きます。


だからといって、なんでもゾロ目にするとか、素数や完全数にすれば上手くとかいう風に依存してほしいわけではなくて、数字もまた自然の一部であって、偶然のように見える数字の連続、あとは厄年とか、数秘術とか、ゾロ目とかにも一定の傾向や意味があって、人生や宇宙、自分の体の状態を理解するための参考のために少しだけ役立つということがある、ということを知ってほしいなぁという気持ちだけです。




あと、大学で化学の理論とか勉強していた時、思ったのですが、大学教授って結構体育会系で信念とか熱血系の方が多いです笑笑

つまり、彼からが仮定して正しいと思った理論を宇宙の一側面として、顕現しているんだと、彼らの信念が理論を積み上げ、混沌なる宇宙、自然の中から一つの理論を拾い上げている。だから、研究は自分を信じきれるかどうかの、自分との闘いそんな風にその当時思いました。


あー書きたいこと書けたー

いつも文章が整ってなくて、アレですが。

ご容赦くださいm(__)m